お亡くなりになられて、もう10年になる長沢節さんの本を見つけて読んだ。
風変わりなファッションで、独特の「男性美」を主張していらっしゃる長沢節さんに、私はなぜかとても心惹かれる。
「強くて頼もしい男性美」ではなく、「孤独で弱い男性」こそ美しいという……。
以下本文から抜粋。
<出来るだけ自分を細く軽くして、他人に少しでも重さを感じさせないようにという男の優しさは、今でもまだ殆どの女性には理解してもらえないみたいだ。だから私は「細いスネ……」の本の中で、少し過激にだったけれど、新しい男性美として、「弱い男性美」を主張したのだった。
男が強く頼もしいのではなく、孤独で弱い男性の美しさ……それは全く兵隊の役には立ちそうにはない男性美。全く亭主の役にも立ちそうにもない男性美として、それこそが現代の新しい男性美ではなかろうかといってみたのである。そこにはこれからの女性が男と全く同じように身軽く自由に、弱さを助け合って、楽しく生きるための人間一般のあり方を示したつもりだった。
私はだから当面の敵を男社会の「強さ」におき、「弱さ」こそが愛の対象となった。
「あの人、弱いからキレイ」
「あの人、弱いから好き」そして最後に
「あの人、弱いからセクシー」というのが私の三段論法であるが、女性は必ずしも直ぐには賛同してはくれそうもない。
弱さが美しいのは、まるで男性だけの特権とでもいってるみたいだが、それは女性に於いても弱さはやはり素晴らしいわけで、私にとって「弱いものはすべてセクシーである」というのはホンネなのだ。>
「弱いものはすべてセクシーである」(長沢節)
風変わりなファッションで、独特の「男性美」を主張していらっしゃる長沢節さんに、私はなぜかとても心惹かれる。
「強くて頼もしい男性美」ではなく、「孤独で弱い男性」こそ美しいという……。
以下本文から抜粋。
<出来るだけ自分を細く軽くして、他人に少しでも重さを感じさせないようにという男の優しさは、今でもまだ殆どの女性には理解してもらえないみたいだ。だから私は「細いスネ……」の本の中で、少し過激にだったけれど、新しい男性美として、「弱い男性美」を主張したのだった。
男が強く頼もしいのではなく、孤独で弱い男性の美しさ……それは全く兵隊の役には立ちそうにはない男性美。全く亭主の役にも立ちそうにもない男性美として、それこそが現代の新しい男性美ではなかろうかといってみたのである。そこにはこれからの女性が男と全く同じように身軽く自由に、弱さを助け合って、楽しく生きるための人間一般のあり方を示したつもりだった。
私はだから当面の敵を男社会の「強さ」におき、「弱さ」こそが愛の対象となった。
「あの人、弱いからキレイ」
「あの人、弱いから好き」そして最後に
「あの人、弱いからセクシー」というのが私の三段論法であるが、女性は必ずしも直ぐには賛同してはくれそうもない。
弱さが美しいのは、まるで男性だけの特権とでもいってるみたいだが、それは女性に於いても弱さはやはり素晴らしいわけで、私にとって「弱いものはすべてセクシーである」というのはホンネなのだ。>
「弱いものはすべてセクシーである」(長沢節)