5又ササユリは咲き終えてしまった。その代わりにはなりえないがノーマルな2又を中心とした花が咲き始めて
いる。山小屋周辺の低木に混じってひっそりと花をつけるものや他を見下ろしながら咲くものあり。
小屋裏の日陰で4つの花が咲き始めた。
5又ササユリは咲き終えてしまった。その代わりにはなりえないがノーマルな2又を中心とした花が咲き始めて
いる。山小屋周辺の低木に混じってひっそりと花をつけるものや他を見下ろしながら咲くものあり。
小屋裏の日陰で4つの花が咲き始めた。
私の食道がんと胃がんは平成21年10月9日に行われた手術、前後に抗がん剤治療で一応の処置を終え以後、経過
観察を続けている。癌治療に付いて回る5年生存率は50%などの表現。
癌の治療を開始してから生存している率のことで、治療後に癌が再発して再び治療中の人もこの中に含まれている。
治療にも外科的なものから間接的な治療といろいろあるから、定義にある『治療を開始してから・・』の解釈の幅
は広いし、意味合いも広い。処置して残った癌は成長が早いから5年も経つと検査をすれば直ぐに発見される大き
さになっているから、この期間になっている。
手術をして患部を摘出したなら悪い部分を切り取ってから5年間だと状況がはっきりしているから分かり易いが外
科を伴わない抗がん剤治療の場合、外科手術のように治療結果の判定は難しいからしっくりとこない気がする。
誰しも5年は意識して喫緊の大目標にこれを据える。だから時々どの地点にいるのか確認しておきたくなるから
手術後、何日経過したのかを示すカレンダーが必要になり、これを作って時折、眺めている。今日は6月21日だ
から術後1716日目になり5年目まであと3か月半ほどまでたどり着いた。
カレンダーの存在は日を重ね、ある程度年数が過ぎてから出ないと5年という歳月の実感が出てこなかったが、1
年を残すくらいからのカウントダウンのスピードは非常に早く感じた。カレンダーの意味も順調な状態が続いてい
るからこそ有難味が実感できているのだと思う。
癌治療から5年を迎えると普通の病気で言う治癒に該当するのが『完解』ということになる。この言葉は癌専用の
言葉でもなく意味合いは『永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床
的にコントロールされた状態を指す。すなわち、一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態
がよくなり、あるいはその状態が続いている』(Wikipediaより)
癌の場合、その根本的な治療法がないから症状や因子を抑え込むことができたものを一般の病気の治癒や完治に該
当する言葉として使われていると思う。治癒や完治を調べてみると傷をした場合に傷跡の残り方により治癒とは言
い難いケースや所謂、不治の病には治癒は存在しないとか、思いもしなかった説明が出て来て、その奥深さに戸惑
ってしまった。
術後カレンダー
政治の在り方について個人個人で考え方、支持の仕方は異なる。近年は無党派層なる特定の政党を支持しない人が
半分近くを占める事は珍しくない。総理大臣がコロコロ変わる日本、政権交代してみたらまさに夢現(ゆめうつつ)、
これではいけないと元来た道に戻った。戻ったというより選択肢のない選挙結果がそうさせた。
古い元総理が新しい総理として再登場。病気で辞任以来、体調を取り戻したらやたらと元気で、景気の気に火をつ
けたかのように見えるが、本当に庶民は景気の気を感じて消費税値上げの余波に打ち勝っているのか。
これもまた夢現なのかもしれない。
新聞、TVの論調は安倍内閣は右に大きく舵を切りつつあると囃し立てるが、肝心の民たちは国家が大転換しよう
としている時でさえ一向に関心を示さず、平成元禄に呆けている。
政治に無関心になった爺はどうでもいい。国が右に行こうが左に行こうが私が存命中、我が身に大きく降りかかっ
てくる災難などなかろう。だが、一番無関心な若い層の人たちは国家の決めた右舵によって国際紛争だとか経済戦
争に巻き込まれ苦労しなければいいがと心配している。
その一つの例として集団的自衛権の扱いだ。私個人としてみた時、集団的自衛権を全く認めないとするには沢山の
矛盾に目を伏せなければならず、何らかの措置は必要と考える。戦争への道を開くことへの危険性が高いとされ反
対の意見が多いのも事実だが、他国のミサイルが同盟国に向けられているのにその措置に手を貸すことができない
となれば、相手国は我が国を同盟国とは言わないのではないか。
これは大事なことで歴代の内閣もこの矛盾に蓋をしたまま、行使は違憲としてきた経緯がある。矛盾は正々堂々と
国民議論の場に上げるのが政治家の使命ではないか。それをどさくさ紛れのような形でなし崩しにしようしている。
政治の場も数の力による。先述の夢現から覚めてみたら一党独裁状態。数の力に唯一、影響力を持つと思われてい
るのが連立を組む公明党は庶民に近い感覚を政治の場にと力説する。
確かに過去の公明党の党首は大物がいて創価学会の会員でなくても一政治家として支持、好感を持つ人もいた。し
かし私感では残念ながら近年はそうした人物の出番はなく、自民党の腰巾着とか太鼓持ちと揶揄されることもある。
庶民寄り政党だからこうした事態の時にこそ歯止めとしての存在感が必要だと思う。集団的自衛権には反対に近い
慎重だったのに自民党から『反対して連立離脱の気配なし』と心中を透かし読みされ押し切られようとしている。
恐らくこの見方は正しくその内『公明党、集団的自衛権を容認』のティロップが並ぶのでは。
政治の世界も、言うは易し行うは難し。
お断りしておくが私はどこの政党を支持する者ではなく、ただの方言爺だ。
我が家の西瓜の生育具合は良好で着果し始めている。自然交配に任せているが今のところ6~7個は確実になって
いるから例年と比較して順調といってもいい。雌花の大きいものが付いてきたのでこれから本格的に着果していく
ものと思う。種なし西瓜,果肉がオレンジ色などと少し変わった品種の栽培に挑戦している。
最初の頃は順調で何の問題もなく収穫していたが、ここ数年はつる枯れが起るようになり最盛期前頃になると、徐々
にやられていく。原因は不明だから手の打ちようがないから、苗を分散して植え付けている。
私の所はこんな苦労を抱えながらの西瓜栽培。
ところが近所の畑では小玉西瓜が早く実を付けてメロンくらいの大きさに育っていたものをカラスに食べられてし
まった。それも少し大きくなったものばかり5つも。
叔母さんはカラスが近くに来ていたのは知っていたがすぐ傍の畑を耕運機で起こしていた。その一寸した隙を狙わ
れたものだ。少し赤くなりかけていたからカラスにすれば十分な糖分があっただろう。
カラスよけの釣り糸を張り巡らしたが一度味をしめたものだから、糸を恐れるより食欲が勝ったらしく糸の下まで
歩いて来ては様子を窺っている。
近くに行って追っ払うとカラス自身が安全を確保できる距離まで逃げるから更に追いかけるとまた、その距離を保
つだけ逃げる。人間の神経を逆撫でにするような仕草に切れてしまう。勢いを付けて脅すと近くの木まで飛び立ち
小馬鹿にしたような顔をして様子見。本当に頭にくる。これからカラスと人間の知恵比べが始まる。
ニュースは直ぐに伝わり、私のお隣さんは直ぐに防鳥網を張り巡らせ完全防備体制完了。閉めだされたカラスは次
の獲物場所の選定にかかる。私の所は未だ実が小さいから来ても被害は出ないだろうが放置しておくと必ず被害に
遭うので、もう暫くはしたら同様の体制をとる事にしている。
西瓜以外にエンドウ豆、トマト、キュウリ、トウモロコシ等がカラスにやられる空中戦が始まり、ヌートリア、狸
との地上戦は如何なる展開になるのやら。夏野菜の収穫は野生動物とのバトル・シーズンでもある。
私の所属する木炭生産グループの平均年齢は70歳を越える高齢グループだが、最高齢80歳の会長さんを始めとす
る会員は皆、驚くほどの体力の持ち主であることは以前、紹介した。体力のあることは気力が充実していることに
他ならず何事にも前向きに取り組む姿勢が常にある。
昨年、募集のあった補助事業で炭小屋の立替・新規事業の追加を申込み、何とか受理され先般よりその作業が始め
られた。この事業は70%補助だから残りの30%は自己負担になる。グループで借り入れをしてやることになるが、
この点に於いても借金を恐れることなくやり遂げようとの意欲が優っているから成せるのだ。
解体作業を始めた訳だが流用できる資材は出来る限り使用するためその配慮をしながら進めて行った。解体後に一
番困るのが燃やせないゴミ類、長年蓄積されてきたものだから汚れたり錆ついてボロボロになりかけたものが混在
している。始末するのが面倒だから隅から隅へ追いやられ続けた後の始末は大変。
小屋の解体を終え炭窯は丸裸になってしまった。私がこの会に入れて貰ったのが8年ほど前のことだから、炭窯の
生い立ちは分からないが出来てから16年間お世話になった窯に感謝々。
窯の土は次の窯を造るのに必須のものとなる。窯で使った土は焼けていて窯を造るのにいい材料になるから、以前
は新しく窯を造る際には取り壊した古い窯の土を貰いに行ったそうだ。
今度の窯はこの場所から300mくらい離れた場所になる。新たな場所で新しく炭小屋、団らん室、研修室などを追々、
作ることになっている。この場所での工事、完成後の炭焼きが安全に執り行われるよう安全祈願をして貰い、この
秋を目途の工事が本格的に動き始めた。
小屋が解体され炭窯だけが残された
Sewol号事件で韓国の国の在り様が揺らいでいる。日本と大きな違いは大統領制をとっている事,大統領には権力
が集中しており意志決定が速く行政府全般にわたってスピーディーな仕事が可能と言う風に見える。
韓国における立検の仕組みや司法制度がどうなっているのか知らないが、Sewol号事件では根本的な原因究明が為
されていないのに、大統領の職務権限を逸脱したかのような言動が目立っている。
被害者家族、国民感情さらに私たちでさえも、船会社や船員たちの無能ぶりには憤りを覚えるのだが、大統領は裁
判官ではないから一時的な感情で司法に影響を与える事があっては3権分立を保つことはできない。
今の大統領の言動をみていると、政権維持のためのSewol号対策に写って仕方がない。怒りの矛先が船舶会社に向
かうように仕向けているのは素人目にも、そう見える。教団での捜索に6000人もの警察官が出かけたのをみても
その意図は透けて見える。
先述のように未だ根本原因についても何一つ解明されていない。過積載、荷物の固定不十分、バラスト水の有無な
ど表面上に出ている推定原因だけで重大犯罪を犯した人を作り上げようとしている節もある。
船舶会社の実質オーナーと言われる人物はSewol号の沈没の直接的な関与は確認されておらず、背任行為で多額の
資金供与を受けていたとして指名手配された。この事件についてもSewol号沈没で表面化し事件の証拠となるもの
は海外や国内に世間ずれしたゴージャスな暮らしだと言う。調べていけばそうした事が立証されていくかもしれな
いが、どうみてもこの人が過積載をして儲けた金を教団に寄付することを指示し船が沈没する事があるかもしれな
いことに知らんふりをしていたとは思えない。
単なる背任行為があったとして国際指名手配をされるような重罪人と確定していない人たちの扱いは完全に有罪人
のようだ。私はこうした人たちを擁護したり弁護したりするつもりは毛頭ない。
しかし、今のような状況が続けば、今後も起こり得る事件事故の3権分立が守られ、確固たるものが定着するのか
隣国から要らぬ心配をしている。東電原発事故で何も原因が分かっていないのに既に安全対策が再稼働可能を目指
しているいい加減な日本政府の論理思考と似ているように思えなくもない。
前回のCT検査は昨年11月に造影剤を注入して行われた。10月末の定期検査でSCC=2.1となったので念のために
前倒しで、しかも造影剤CTとなった。私はアレルギー、抗がん剤治療薬、造影剤などの副作用は全くないので、
こうした時には重宝する身体だと思う。
造影剤を使うことによる身体のダメージと検査の精密度を天秤にかけて選択する人もおられる。これは難しい選択
になると思う。今までの検査で、この種の副作用は胃カメラの時に打つ注射は後刻、目に副作用が出てくる。凄い
遠視になり普通の書類の文字などもぼけて読めなくなる。数時間で元に戻るし、そのままでも読む以外の日常の生
活に支障はなく自動車の運転も問題はなかった。
今回の造影剤の注射は若い研修医が担当、未熟だったのか、たまたま調子が悪かったのか採血検査と逆の手からや
ったが上手くいかず、採血した所からやり直した。注射針を刺すのだからチクチクとするが若い研修医の経験の為
にも必要なこと故、老体に鞭を打つつもりで耐えようぞ。
腫瘍マーカーのSCCは1.6と基準値を0.1ng越えているが、いつものことと先生の説明も、聞く患者も力の入らな
い淡々としたもの。SCCは変動要因が沢山あり一寸した事でも変化するし、日差も20%位変動するものらしいから
多少の乱高下は珍しくないと思うが私の場合は何もしないのに正常値に戻ってしまう。
本当に正常なのかどこかに異常があるのかよく分からないのが実状だが、自分ではこれで正常と言いくるめてきた
し、これからもそうしていく。
先生が血液検査の結果を見乍ら『何か筋肉痛が伴うような事をされましたか?』と唐突な質問
『ここのところ、草刈りや何やらで重労働・・・』
『筋肉痛を表す数値が高くなってますから、その精ですね』
血液は人の基礎であることは誰もが承知している心算だが、こんな形で人の行動状態まで分かるとは、改めて人と
いうか生き物の不思議を思わされた。
CT検査の結果も異状は認められないとのことで次回検診は9.11となった。一応5年になるので今後の扱いがどう
なるのか説明はないし、聞きもしないから為すがままに・・・・
私としては今のペースで通院することになった方が安心できるので、5年経過したからと何もかも病院との縁が切
れてしまうよりいいと思っている。
山小屋入口のササユリが一気に開花した。午前中は四つ咲いていたが午後になって満開。
近くに寄るとブーンと独特の香りがする。頑張って暫くは楽しませて欲しい。
カメラのマニュアルにあった『背景をぼかす』なんてものを試してみた。下手くそでも
こうしてみると多少はカメラのことを知っている人間の様に思えてしまうから不思議・・・・
この時期になると町内の各地域で河川の草刈りが実施される。河川管理は国または県が管理するものだが、私たち
が担当する川は小さな川だから実質的には県で、このような作業に関する窓口は市になる。浄化作業は奉仕ではな
く報酬がある。昔は10数万円だったから大きな財源だったが同じ作業を続けているのに台所が苦しくなったから
と段々削られてきた。
自治会の会員も歳をとってきて大変だから辞退してはと意見が出たものの、地域は自分たちの手で守らないと廃れ
るばかりとの意見があり、頑張ることにした経緯がある。他の地域でも同様の意見があり河川浄化作業を辞退した。
辞退したからといって県や市が代わりに作業をしてくれるのではないから、川の中で葦が蔓延り周辺との釣り合い
がとれないほど荒れて来た。その地域の上流と下流は浄化作業できれいになっているのに間は草、葦が伸び放題に
なっている。
こうなると一地域だけが廃れたという見方より全体が廃れる前兆とも取れなくはない。私の住む地域は私の年代が
平均、後2~3年もすれば平均年齢が70歳くらいという事になってしまうから、河川浄化作業の事態は現実味を帯
びている。
今日は6時半からその作業があり皆で汗をかいた。昔は蛍の保護になればと蛍シーズンが終わってから作業をして
いたが、草刈りをしても蛍には影響はないとのことで最近は蛍シーズンと重なることが多い。今だと未だ草や葦の
背丈は低いから作業的には楽になっているはずだが、その分だけ歳をとってきたから楽になった感じはしない。
暫くの間、雨続きで陽射しがなかったからササユリも蕾のままで開花を待たされていた。蕾が膨らんで白い色に変
わり薄らとピンクに近い色になると開花が近い。昨日,今日と弱いながら日差しが出てきたら、やっと色の変化が
出て来た。山小屋周辺は谷間だがこんな場所でも昔は稲作が行われていた。恐らく減反政策で稲作が止められ廃田
になったのだろうが、かつての農地は耕作しなくなり地目も原野に変わってしまったのは40年以上前のことだと
推察される。
私が山を譲り受けてからもう15年近くなる。当時でさえ25年以上は放置された廃田だったから荒れに荒れ放題で
稲作に欠かせない水路も土砂で埋まり大雨の度に流れ易い所を作り出していた。水路と言うより溝で稲作の田だと
思わせるものなど何一つないジャングル状態だった。
山小屋を建てるために雑木を伐採、何十年もお日様の光が射さなかった土地に待望の陽が落ちるようになった。木
を伐採して綺麗にすることを『山をこる』と言うが、恐らくこの辺りの方言だと思う。
『山をこるとササユリの花が咲く』は山購入の道筋を引いてくれた糸さん(故人)の言葉。これは本当だった。
ササユリは種からだと数年経たないと花は咲かない。山を綺麗にしたらササユリが咲き始めた。近くにササユリは
咲いていなかったし種が飛んで来ても直ぐに花は咲かないから球根が耐えながら生き続けていたのだろう。
山小屋を建ててから周辺で数は少ないもののササユリが咲き始め今年も10本近くの蕾を確認している。実は、尾
根筋の隠れ場には沢山のササユリが咲いているから、じっくりと探せばもっと多くのササユリがあると思われる。
今年のササユリ・ハイライトは山小屋の進入路にある蕾が五つついたものだ。これくらいのものになると茎に虫が
入り込み倒されることが多いのに、こいつは元気よく五つとも開花させる勢いだ。高さは1㍍近くもある立派なも
のだ。過去の最高は八又だったが残念ながら五つ咲いたところで虫に茎を喰い折られてしまった。
道の側で目立つので白い紐で囲って『取らないで』の看板はないが無言のアピールをしているから、ここで満開を
迎えてくれると信じている。
町の角や人通りの多い所には『明るく元気にあいさつをしよう』などとスローガンが掲げられている。また通学路
には子供たちが作った啓発のスローガンが看板にして立てかけられている。町内の子供たちは低学年が一番元気よ
く大きな声で挨拶をし、高学年になるに従って声が小さくなっていく。恐らく、この傾向は何処の地域でも似たよ
うなものではないかと思う。
最近は知らない人に声を掛けられても返事をしないとか、不審者と思われる人には注意をすると教えられているだ
ろうから、子供たちも挨拶をされたらどう対応していいのやら…悩むのでは。
私は近所で出会う人は知らない人でも会釈程度の挨拶をするし、顔見知り以上の人なら必ず声を出して挨拶するの
が当たり前だと思っている。自分の子供たちにも挨拶は五月蠅く躾てきたから私が見てきた限りではよく身に付い
ていると思っている。当然、孫たちにもそのように躾けているから我が家に来た時、挨拶がないとそれを求める。
しかし挨拶は左程、大切なものではないと考えているのか無頓着な家庭もある。親が挨拶をしない家の子供たちも
挨拶をしない。総じてこの傾向にある。
親は社会人でいい歳をしているから会社や職場で挨拶をしないことはないだろうと思う。お客さんや目上の人と顔
を合わせても挨拶をしないなんてことは考えられないとすると、自宅周辺の人だけに挨拶をしないということにな
る。特定の人が嫌いだとしても私の感覚からすると会釈程度は、人の基本としてすべきだと思うし、何度無視され
ても、出会った時に挨拶をしないと、挨拶をしない嫌な人と同じ種類の人になってしまうことになる。
挨拶はそんな難しいことではなく他人からの挨拶を無視する方が余程難しいと思うが。
挨拶は礼儀の一つでもあるから、きっと挨拶をしない親たちはその親から礼儀に対する躾がされず、挨拶できない
DNAが子供たちに伝えられていったのではなかろうか。
私たちは田舎で暮らしているからまだいい方だと思う。都会地のマンションでは『隣は何をする人ぞ』は当たり前、
表札なども個人情報なんて馬鹿げたことになっている時代、朝に顔を合わせても目を合わさない人間関係の中で暮
らすのは味気なく私の性分には合わない。そうした人たちも職場に行き自分たちの部下には挨拶の大切さを説いて
いるのだろうか。
こんな言葉が新聞に載っていた。冒頭に50代男性の30%余りの人が退職後の資金を全く準備していないとあった。
この種の記事はアンケート調査によるものだから、世の中の状態を押しなべた姿に近いのか、それともたまたま同
じような状況の人が調査対象になってしまい結果に偏重が出たのか、真実は誰にも分からないが、統計学などで精
査するとそんなに大きな偏りは出ないらしい。
調査によると退職後の生活に困る老後難民が増えており、老後のための準備額がゼロと回答した人の割合は男性で
32.1%にも及ぶという。この時代だから準備額ゼロの人が急激に増えたのかと思ったら前年より3.9%増加。
バブル経済の崩壊による長期不景気、リーマンショック、デフレ経済と日本を取り巻く経済状態は最悪を更新し続
けた。この間に政治は企業を救い労働者を消耗品扱いにできる非正規雇用への道を開いた。企業の海外流出による
国内雇用機会の消失、非正規社員の増加は労働者の所得を著しく低下させ最低の社会保障を受けるためだけでも大
変な人もいる。将来の事より今が精一杯で準備にまで手が回らないのだ。
こうした反面、準備額が1,000万円以上の人は28%だから0円の人とほぼ同率、つまり二極分化しているように見
える。どちらにしても、あと10年もすれば好むと好まざるに関わらず定年退職が目前に迫り、退職後の準備は終
えていなければならない、待ったなし状態になる。正規社員の厚生年金以外は国民年金に加入することになってい
る。少子高齢化による年金の事が引き金になり徐々に話題になっていった。そうこうしていたら悪名高い社会保険
庁が大チョンボをしてから、国の管理する国民年金など当てにならないと多くの人が納付しなくなった。国民年金
の納付率は60%程度、ということは40%の人は15,000円ほどの年金を支払っていないことになる。
老後難民と呼ばれる人は、この年金さえも支給されないとなると年老いても何かの収入を得る必要に迫られるが、
現実的には一部の人しか満たされないと思われる。
ただでさえ年金の台所は苦しいのに40%もの人が無年金の状態になってしまったら、どのような社会が見えるのだ
ろうか。せっせと働いて国民年金を納めてきた真面目な人より、法の抜け道を利用して生活保護制度で楽々と暮ら
すようなことがないようにしなければならない。
こんな言葉が新聞に載っていた。冒頭に50代男性の30%余りの人が退職後の資金を全く準備していないとあった。
この種の記事はアンケート調査によるものだから、世の中の状態を押しなべた姿に近いのか、それともたまたま同
じような状況の人が調査対象になってしまい結果に偏重が出たのか、真実は誰にも分からないが、統計学などで精
査するとそんなに大きな偏りは出ないらしい。
調査によると退職後の生活に困る老後難民が増えており、老後のための準備額がゼロと回答した人の割合は男性で
32.1%にも及ぶという。この時代だから準備額ゼロの人が急激に増えたのかと思ったら前年より3.9%増加。
バブル経済の崩壊による長期不景気、リーマンショック、デフレ経済と日本を取り巻く経済状態は最悪を更新し続
けた。この間に政治は企業を救い労働者を消耗品扱いにできる非正規雇用への道を開いた。企業の海外流出による
国内雇用機会の消失、非正規社員の増加は労働者の所得を著しく低下させ最低の社会保障を受けるためだけでも大
変な人もいる。将来の事より今が精一杯で準備にまで手が回らないのだ。
こうした反面、準備額が1,000万円以上の人は28%だから0円の人とほぼ同率、つまり二極分化しているように見
える。どちらにしても、あと10年もすれば好むと好まざるに関わらず定年退職が目前に迫り、退職後の準備は終
えていなければならない、待ったなし状態になる。正規社員の厚生年金以外は国民年金に加入することになってい
る。少子高齢化による年金の事が引き金になり徐々に話題になっていった。そうこうしていたら悪名高い社会保険
庁が大チョンボをしてから、国の管理する国民年金など当てにならないと多くの人が納付しなくなった。国民年金
の納付率は60%程度、ということは40%の人は15,000円ほどの年金を支払っていないことになる。
老後難民と呼ばれる人は、この年金さえも支給されないとなると年老いても何かの収入を得る必要に迫られるが、
現実的には一部の人しか満たされないと思われる。
ただでさえ年金の台所は苦しいのに40%もの人が無年金の状態になってしまったら、どのような社会が見えるのだ
ろうか。せっせと働いて国民年金を納めてきた真面目な人より、法の抜け道を利用して生活保護制度で楽々と暮ら
すようなことがないようにしなければならない。
注文していた1,680円のキーボードが到着し早速、接続設定のためのペアリングとやらを実施。タブレット側の設
定でbluetooth使用をオンにすると該当機器があるか検索してくれた。そしてキーボードを発見して『ペアリング
設定』を指定すると4桁の番号を入力せよと指示してきた。
入力した数字はディスプレーに表示されるのでもないから間違っていても分からないが正しかったのだろう。直ぐ
に接続完了のメッセージが出てキーボードの品名の横に『接続』と出た。
それではquick officeのドキュメントを作成してみようとデータ入力の試験開始。
購入前から一つ気になっていたことがあった。ソニー純正のbluetoothキーボードの写真を見た時、英字キーボー
ドだったこと。今頃の機械だからどんなものでも日本語入力に仮名は当然サポートされているはずと勝手に理解し
ていた。だがタブレット製造の本家本元が出しているキーボードが英字ということは、日本語入力はローマ字であ
ることを示しているのではないか。
ドキュメントを開きキーを叩くとやはりローマ字入力であることが分かった。仮名入力のサポートをしているのか
どうかは分からない。私のキー入力は仮名入力でスピードはそんなに速くはない方だがキーボードの動作がタブレ
ットに反映されるのにンっ、というような一呼吸ありそうな間合いを感じる。矢印を続けて押すとカックン、カッ
クンと移動するようなイメージ。
ローマ字入力でも戸惑うことはないが仮名に比べると倍以上のキータッチが必要なので、私には断然、仮名入力が
便利だ。
ならばソフトキーボード若しくは手書く入力と比較すれば、bluetoothの方が入力し易いが、英字と日本語の切り
替えが頻繁にある文書だと面倒、慣れないことから一方的に軍配を上げる事は難しい。
もっと、使いこなして慣れてからでないと正当な評価は難しいが、期待したbluetoothキーボードによる利便性の
向上は、一応の効果はあるものの今後の努力次第というお預け状態。
結果云々はあるものの新しいものを使ってみると、自分の視野が少しでも広がる気がするから結構なことに違いな
い。これを機会にMPプレーヤーをbluetooth版に移行すれば畑の草取りの際、イヤフォンのケーブルが引っかか
り・・・・なんてことから解放され、いやらしい草取りもルンルンに変えられるかも知れない。
タブレットほぼ同じ長さ、本体設置用の台もついている
日本ほど核の恩恵と被害を受けている国はない。広島・長崎原爆投下、ビキニ環礁で漁船が被曝、JCO臨界事故、
もんじゅ、東電原発事故とどれもこれも大きな被害だ。その反面、化けの皮が剥がれてしまった効率の良い『安全
な原子力』による原発電力の恩恵。核の持つエネルギーは途轍もなく大きいものであるが、人間が制御できるのは
ほんの入口程度で、それを騙し騙し使っているに過ぎない。熱を発するから水で冷却しなければ冷やすことができ
ない、しかもこれが出来なくなると制御不能に陥る。こんな基本的な事に万全の策をとることが出来ない、これが
核を扱う上で一番必要な事なのに出来ない致命的なこと。
例えば原発が事故や災害で緊急停止した際、家電製品の様に電気を切ったら安全に停止し他に何の影響も与えない
ようにできなければ、事故のケースによって重大事故につながるのを防ぐことは出来ない。
津波の高さを20mと想定して対策をとっていて25mの津波が来たら事故を完全に防ぐことは出来ないかも知れな
い。全電源喪失の起こるケースにしても想定していること以外が起れば福島原発の再発は防げないことになる。
完全なる冷却技術の開発が必要で、それはあらゆるケースでも冷却能力を失わない仕組みである。
これが実現しないで核利用をする場合の前提は、原発事故のケースによっては半径0~40Km以内の地域は以後、
数十年にわたって避難することを周知させ同意を得ておくことが必要と考える
ところが、国も自治体も安全と言いながら避難訓練をしたり逃げ道を準備したりしている。安全ならそんな訓練な
んか必要ないだろう。何故、そんな無駄な事をしているのかい?
国や自治体は住民の安全を保つのが究極の仕事だろう。ならば原発が在るのと無いのとどちらが安全なのか?
答えを聞いてみたい。きっと『原発があっても安全なように万全を尽くしてある』と小馬鹿にした回答が帰って来
るのではなかろうか。
こんなお国がIAEA(国際原子力機関)に報告すべきブルトニュームの保管量を誤って640kgも過少報告してしまっ
た。またその内容のお粗末な事。原発事故の影響で炉心から抜き取られたものや、残されているものなどの扱い方
がIAEAの求めているものと違ったためである。日本は過去のいきさつから核には一段と厳しく接し管理していな
ければならないはずだが、原発事故、今回のようなことからみて、本当に核を扱う能力を持っているのだろうかと
疑問に思う。因みに640Kgのブルトニュームは核爆弾約80発を作ることが出来る。これだけでも恐ろしいのに日
本が保管している全ブルトニュームは2.2トンあるというから、災いがどんな形で我が身に降りかかってくるのか
思いつかないが・・・
くわばら、くわばら
昔は離縁してお嫁さんが実家に戻ることを出戻りなど言っていた。今は離縁などいうことはなく離婚というが事の
重大さに比べると何となく軽いような印象を受ける。離縁の件数は少なかったのか、それとも家の恥として表ざた
にならないようにしていたから少ないように見えていたのか、今の様にさらりとしたものではなかった。
時代は結婚の形態、結婚観などに大きく影響を与え過去の価値観は今には通用しないばかりか理解されなくなって
いる。離婚を結婚の失敗として引きづって行くのではなく、リスタートという別の言葉に置き換えて新しい暮らし
を始めるからジメジメした暗さが見えないように思う。
恐らく傷ついて暗い気持ちが立ち込めていたのだろうが、それを吹っ切り先にあったものが離婚であれば後戻りす
ることはないからベターの選択と言ってもいいのかも。大よそ20年くらい前、私は知人、会社関係を含め5組の
頼まれ仲人をした。どのカップルも結婚式では祝福され、共に絶対に幸せな家庭を作ると誓っていたのに3組が離
婚している。離婚率60%、これは本人たちに問題があるのではなく仲人にあるなどと思わないで欲しい。私は『頼
まれ仲人』だから二人の結婚決定に何一つとして関与していないので、私は無罪であることをご理解頂きたい。
自己弁護は別として、私の身内の中でも3組の離婚があるし近所でもゾロゾロあるから、離婚という言葉に何の驚
きを感じない。それほど離婚は軽いことになってしまっている。理不尽な夫または妻がいる家庭で幸せを作ること
は出来ない、我慢するならresetと軽々に結論を出すのか私には分からない。
大人の世界で話題になるなら未だ我慢できるが小学校の孫たちの間でも『誰々さんちは離婚して母さんと一緒に暮
らすことになった』とこんな会話が交わされ家で『お母さんうちは離婚しないでしょ』と釘を刺されたとか。
また時代は英語が氾濫しているから離婚して子供を引き取った女性や未婚で子育てをする女性をシングル・マザー
と呼び女性だけの片親に対する暗いイメージはない。しかし、実際には経済的な困難、父親不在の何がしかの影響
などなど克服すべきことは多くいばらの道であることは想像に難くない。
余りにも軽い離婚に、この爺さんも心を痛めている。
因みに世界の離婚率はロシア、旧ソ連邦国、米国が断トツで、日本は調査対象国46か国中26位。高いのか低いの
か微妙な数字であることには変わりない。