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引越しいたします。

中国の恐怖を感じるカザフスタンのウイグル人

2007-07-23 23:03:50 | アート・文化

7月9日 BBC

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6284734.stm

雨の午後、カザフスタン中国国境に近いある町で二つの家族が集まり、婚約のパーティが行われた。
女性たちは彩られた伝統的なドレスを着て肉や米の料理を運んできた。縁がたけなわになるにつれて、客人たちは新しい家族とその未来に乾杯した。しかしながら彼らが歌った歌は過去についてのものであり、中国に奪われた先祖の地に付いての歌だった。
ウイグル人は、トルコ系のムスリムであり、英雄を凌駕する数の犠牲者のいる歴史を、偉大なる伝説に影を投げかける迫害の物語を持っている。
何世紀にも渡り、ウイグル人は彼ら自身が東トルキスタンと呼ぶ土地のために中国と戦ってきた。しかし地図上それは新疆と呼ばれ、中国の北部に位置している。

200年にわたり何百万人のウイグル人が戦火と迫害から逃げて中央アジアに移住した。しかし彼らは自身の土地への夢をあきらめることはなかった。
そしてそれは北京にとって問題であった。中国からのより高度な自治を要求するウイグル人もいて北京は彼らの分離主義はテロを生むといっている。

カデルの物語

カザフ当局に見つかるのを恐れ、中国からの難民申請者のカデルは我々に秘密の場所で会うことに同意した。
薄暗い明かりの部屋で、カデルと彼の友人は書類の束を見せた。熱い何十部もの難民申請者のファイルであり多くの男女の白黒の写真が添付されていた。
それらの何人かはすでに中国に追放され、そこで処刑されてしまっていると彼らは言った。
カデルの暗く、落ち着かない両眼は深く、当惑させるような恐怖に満ち溢れていた、しかし彼の声は彼の中国での体験について話すにつれ、落ち着くようになった。
「やつらは私たちをほうっては置かない。町に出る、市場に行く、公安は先回りする。私は隣人とその家族が中国の監獄で拷問される話を聞きつつ育った。」
「やつらは私たちをテロリストと呼ぶ、なぜ私たちがテロリストなのだ、私たちは単なるウイグル人じゃないか?」

10年前、カデルは彼の故郷のカザフ国境の町でデモに参加した。デモは中国のウイグル民族の権利を更に要求するものだった、それはいち早く政府に鎮圧された。
中国の兵士は、彼が言うにはカデルの兄弟を殺害し国境を越えるまで追跡してきた。

それから後ずっとカデルはカザフスタンに潜んでいる。十年にわたり土地にウイグルコミュニティの助けを受け生き残ってきた。しかし彼にはパスポートがない、身分証明書もなく職業を見つけることや難民地位を得ることもできないのである。

彼が持っている心細い安全の保障はいつもポケットに入れている100ドル札である。
「地方警察に止められたときはこれを渡す。いつか賄賂でなんとかならなくなった時、最悪のことがおこりうる。」

最悪のこと、それは(カザフ国外)追放である、と彼は言う。

「私はテロリストではない、単なるパン職人だ、しかしもし送還されたら殺されるだろう。吊られるか銃殺されるかだ。」カデルは言った。

消えゆく避難地

カザフスタンにはカデルのような人物が何十人もいる、中央アジア全体ならもっといる。

人権団体はカザフ政府にウイグル人を中国に送還しないように要請している、しかし増大する中国カザフ間の協力関係の中、彼らのメッセージは失われている。
「中国とカザフ両当局はこれを公式な問題とすることを望んでいない、しかし疑問はこちらに隠れていて亡命を求めることができない人をどうしたらよいかということだ。その中には女性や子供もいる。」カザフスタンの主導的人権擁護者であるYevgeny Zhvtisは言った。

「この時点で、私は出口を、この状況における解決方法を見つけることができない、なぜならカザフスタン当局は対中関係をただ損ないたくないからである。」

北京はカザフスタンにおいてますます重要な投資者である。中国はまたカザフスタンに、中国政府が呼ぶところの新疆における自身の「対テロ戦争」に対する協力を要求している。

中国大使館の報道官によれば、中国は何をするべきか言われる必要はない。

「我々、中国人だけが我々の国の内部でおこっていることを知っている。我々は外部世界に妨害されることを好まない。中国政府はすべての中国人のための幸福と福祉のために努力している。」(報道官の)Wang Bingは言った。

U_dancers0707 カザフ―中国国境の近くの村では、夜が訪れると何百人の人々が荒れ果てた村のコンサートホールにぎっしり入ってくる。伝統的ウイグル舞踊が始まろうとしている。

老若男女が長い紫色のドレスを着た女性達がステージに招かれるのを見て魅了される。彼女らは忘れがたい伝統的なリュート(ドンブラ―のことか?)に音に揺れ動き、回旋する。

何世代にもわたり、ウイグル人はここで自由に行動してきた。中央アジアは彼らが独立の夢を揺籃してきたところだ。

しかし現在中国が支配を強めている。そしてウイグル人は彼らの安全な避難地を失いつつある。

カザフスタンのウイグル人を特集した珍しいBBCニュースサイトの記事である。実際この記事には疑問点もある。現ウイグル人が国家意識をもったのはおそらく19世紀末の汎トルコ主義の影響からで「何世紀にも渡って独立を求めてきた」という書き方はどうかと思う。「200年にわたりウイグル人が中央アジアに移住した」というのもあまり聞いたことのない話である。

ウイグル寄りの「偏向」はあるもののカザフスタンにいるウイグル人難民のことが取り上げられるのは珍しいことであると思う。このカデル氏は1997年2月のグルジャ(伊寧)事件からの逃亡者である。

この1997以前にも有名なところでは1962年の中ソ対立でウイグル人が当時のソ連領カザフ共和国に逃亡した。現在のカザフスタン在住のウイグル人コミュニティはそのときの人たちが中心なのではないであろうか。
グルジャ事件についても過去エントリーしているので参考にしていただきたい。

カザフスタンのウイグル人
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20050605

http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20050715

ウイグル人カザフスタンから強制送還
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20060524

カザフ新首相はウイグル人か
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20070127

1997年2月5日 クルジャ(伊寧)事件
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20060206
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20060207

ラビア・カーディル紹介サイト↓

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