バスでは行けませんが、どうしても行っておきたかった場所がありました。
宝帯橋です。
ここは、司馬遼太郎さんの「街道を行く」で、私が印象に深く残った場所です。
司馬さんがやったように、「水面に渡された細長い石塁のような宝帯橋の上に立って、はるか浙江省に繋がるこの運河を見飽きることなく見続けたい」と、こう思ったんです。
ただ問題は、その場所。。
蘇州の南側からさらに3km離れた場所にあり、
私が大好きな路線バスでは、39路が近くまでは連れて行ってくれるものの
(呉中東路乗り換え→66路で石湖東路下車・・・徒歩って感じです。)
バス停から宝帯橋まで、3km以上は歩かねばならず、不慣れな場所で不安も増すだろうということで、自分で移動することに。
でも、電動自転車はこの距離はとても無理。。(片道10km以上あります)
ということで、今回は、チャリンコで移動してみました。
獅山路→三香路→道前街で人民路を南に。
人民橋。古の城壁があったところです。ここを越えると城市外です。
橋って坂になってるんですよね、、、久々に自転車乗って思い出しました。
蘇州は山は無いものの、橋はたくさんあります。なので、意外と起伏がありました。
太湖路との交差点に、东吴搭。吴中区のシンボルタワーです。
さらに南に下って石湖東路へ。1kmほど走ると、京杭運河にぶつかりました。
北京⇔杭州を結ぶ大運河。本当に、長く、大きいです。
はじめてみました。運河の道路標示。
まっすぐ進むと2kmで蘇州市内、西に進むと無錫52km、東へ進むと156kmで上海。
輸送交通手段として、今でも現役なんだなあ、、と、しみじみ感じてしまいました。
その運河を北に上っていくと。。
ありました、宝帯橋です。
でも、入り口閉まってます。。。。
何人かいた中国人も残念そうです。
ちょうど私と同じように、ここを見にこられた日本人の方と一緒に「残念でしたね~」
と、あきらめながらしばしお話していると、、
なんと、係員の方が、橋の向こうから入り口に向かって歩いてくるじゃありませんか。
するとすかさず、中国人の人々が係員と交渉。
ラッキー!ちょっと中に入るだけね、という感じで、入れてもらう事ができました(^^)
美しいアーチが、53個も連なっています。
この橋は実は、現存する中国の古い橋の中で、もっとも長く(317m)
精美なアーチ型の橋だそうです。
最初は唐の時代、816年に、この大運河をさかのぼる船を引っ張るために、
運河に沿って作られた橋で、当時の蘇州の知事、王仲舒が、資金を捻出するために自分の宝の帯を売り、
それをきっかけに地方の富豪が資金を負担し、この橋を3年がかりで完成させたそうです。
この大工事のストーリーとして、宝帯を売ったことを寓話として盛り込んだということですね。
ただ、当時の橋はたびたびの洪水で破損し、1442年、明の時代に再建され、
最終的には清の時代に大規模補修されたものが今の橋だそうです。
そして、ついに・・・!
司馬さんと同じ場所に立ち、運河の流れを見飽きることなく見続け、、、
「不能行!不能○△!」
おじさんにとめられてしまいました。。
眺めてる時間は、ありませんでした。。。
良く見ると、今も補修中のようですね。右側の獅子の腕が。
残念でしたが、司馬さんゆかりの橋に近づけた事は、私の貴重な財産になりました。
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