じぇーむすさんのアドバイスに従い、正しい木涜に行って来ました。
バスで38路に乗って「木涜古鎮」で降ります。そして、しばらく南に進むと右に露天商、おみやげ、軽食屋さんの通りがあります。
もしくは、駐車場の横に、こちらの入り口がありますので、そこから入ってもらうと趣があります。


橋をわたると、木涜山塘街の始まりです。
←地図の左下側が、バス停からの入り口になります。
山塘街、古都のお屋敷めぐりは古松園からスタートしました。
古松園に行く途中、石路の山塘街と同様、かわいらしい小物のお店、スカーフ、真珠店なんかがあります。やはりデートや女の子同士の買い物が多いです。



そして、何よりも目を引くのが、この華やかなお嬢さん、たまに男子の
あでやかなコスチューム姿。
最初に見たときは驚きました。
ポーズを決めてます。カメラマンはプロです。

取る人、待つ人、みんな景観の一部。

傘をさしたり、道具を持ったり。
実はここ木涜は、2500年前の呉越戦争の際の重要な場所であったのです。
呉越戦争においては、いったんは呉の王 夫差が勝ちを握り、
越の王は復讐のために臥薪嘗胆し、策略を尽くすのですが、その一つとして、
美女を次々と夫差に差出し、気を緩ませ、彼女たちのためにカネを使わせ、自滅させる策もとりました。
その中でも一番の美女が、西施という女性でした。
参考までに歴史上の4大美女
呉越戦争時代(2500年前、西施)
→汉or漢(王昭君)
→魏呉蜀三国志時代(紹繟)
→唐(楊貴妃)
夫差は絶世の美女とうわさされた西施のために、木涜に館娃宮という大御殿を建て、贅の限りを尽くしたそうです。
そして、彼女のために夫差は国費を使い果たし、国力を低下させ、
越は念願かなって呉王 夫差を自決に追いやったと言われているのです。
そのため彼女は、その美しさゆえに国を滅ぼした、「傾国の美女」と呼ばれるようになったそうです。
ただ、国を滅ぼすほどの絶世の美女がこの地域に居たという事が、若い女性の中では憧れとなり、
皆さん2500年前の官女の姿を試着して、記念撮影をする、ということで、
この木涜は若い女性のコスプレスポットとなっているということなんですね。


このように、貸衣装&撮影サービスのお店がずらずらっと軒を連ねています。
髪結い、飾り付けまでみんなお店でやっています。
もちろんこの地域で最も有名なものは、清代の古い屋敷で、
そちらをメインで見てきましたのですが、写真枚数も多く、紹介に時間がかかるため、
それはまた後ほど紹介いたします。
山塘街、屋敷見物でお腹が空いたので昼食です。
古松園の手前に蘭州麺屋さんが並び、明月寺の先の橋を左折すると、小吃店があります。
他にも严家花園の手前にもちょっとした食堂があります。
私は明月寺の先のお店で、牛肉炒飯をいただきました。
大目の油で一気に炒めるので、あっつ熱の炒飯です。

しかしちょっと残念な事が。
入るときに7元であることをメニュー看板で確認したのに、店のお姉ちゃんが
お勘定のさいに「ばーくわいちぇん!」と。えー、8元じゃないよ、やられたかも。。
と、場合によってはやんわり抗議しようと、看板を再度確認、すると。。
ボールペンで8元て書いてあるし。
仕方ありません、ちゃんと値上がりしてました。この値上げ、しかし見づらいです。。
雨が降ってきたので、値上げの1元分を雨宿りで取り返すことにしました。
すると、店先で雨に気づいた店番のお兄さんが、店の中からでかいパラソルを出すのが目に入りました。
でも、気になりますよね。。そう、彼もパラソルを差してから気づきました。
立てるとこ無いんですよね。
もちろん、彼が手を離せば、パラソルはばたっと倒れて道路に転がるでしょう。。。
彼は連結金具を回したり、奥から妹らしき人を呼んだりして、5分ほどパラソルと格闘していたのですが、
全く解決にならないことに気づいたらしく、そいつをたたんで店に戻っていきました。。
炒飯がちょっと少なめで、もう少し何か食べられそうです。
と、そこに若者に人気の食べ物がありました。

カニのから揚げです。
生きたカニが串に刺され、あえいでいるのに小麦粉をまぶし、キエーっと止めを刺すので新鮮といえば新鮮です。。
でも、まあ、よくチャレンジしたなと自分をほめました。普通の人はスルーする種類のものです。
お味は、意外とあっさりした塩味。カニの旨みも出ていて、これは確かに食べられるぞと。
まあ、絶品!是非お試しを!とは言いませんけど(笑)
そしてカニを食べつつ、ゆったりと船頭さんが歌いながら進むゴンドラを眺めていたのでありました。

当日は雨も手伝って、しっとりとした古都の雰囲気を感じられた木涜でした。