残り20年の人生の過ごし方

残り20年の人生を悔いなく過ごそう。
自分も自分の周囲の人達にも幸せを。

5月30日

2006年05月30日 | Weblog
明日で5月も終わりだ。
先週末に厚生労働省委託実施事業である、若者自立塾の実施者の発表があった。
昨年から始まったこの事業は、昨年度で20業社が既に実施されており、今年は5社が認定される事になっていた。しかしながら応募はヒアリングに残ったのが36社であり、昨年と比較するとはるかに狭き門となっていた。
幸いにも私が微力ながらも、協力させてもらった法人が合格した。ここがHP
認定されればその次のステップは、ニートを20名集める事になる。
幸いにも、県や市等の行政もベクトルが合っており、募集期間が短いにも係わらず、期待が持てる展開となってきている。

未経験への挑戦! これが苦行ではあるが、楽しみでもある。

求むニート、そして三ヵ月後の就業先。

ながら運転

2006年05月22日 | Weblog
ここのところ、子供に対するやりきれないニュースが続いている。

つい先日横断歩道を渡っていると、赤信号で止まっている片側2車線を越え、対抗車線側を走行してきて、横断歩道で急停車した。その急停車した車の前で横断歩道を渡っていた私は、なぜこの方向から車両が出て来たのかが分らず、一瞬混乱してしまった。
運転者の方を見ると若い女性の運転手であり、周囲に気を配っている様子が無く、携帯電話をしながら徐々に交差点の中心方向に向っていた。
その人の目は、自分の探している人の居所しか目に入っていないように見えた。
そりゃあ、人との待ち合せがうまく行かず、焦ることもあるだろうが・・・。
周囲に気を配れない運転は自分では気が付かないのだろう、これまた人の振り見て我が振りなおせ。
だな。

がに股歩き

2006年05月20日 | Weblog
いつの程やら、歩き方が普通に戻っている。
過去40年間に積み上げられた歩き方が、いつの間にか正常になっている。
筋肉や骨にも、完全に癖が付いていると思っていたが、そうでもなかった。
それほど真面目に骨盤体操をした覚えも無いのに。
蹴らない歩きに気を付けた程度なのに???

イヤー、本当に人間の身体の不思議さを思ってしまう。

秋葉原

2006年05月16日 | Weblog
何年か振りに秋葉原に行ってみた。

何と言う替わり様!!!。 早速駅の構内で迷いそうになってしまった。
かっては半年ほど過ごしたばしょではあるが、その場所も今では変貌を遂げている。
あの美味しかったラーメン屋も無くなっている!

ラジオデパートなどの夜店みたいな、電子部品売り場は相変わらずだったのでホッとする。
買いたい物があったわけではないので、時間待ちに覗くには楽しい場所である。
でも、やはり寂しさの方が強く感じてしまう変貌振りであった。

体術

2006年05月10日 | Weblog
アッと気が付くと、はや今月も10日になっているではないか。
ついこの間までが寒かったのが、嘘みたいな気がする。
3月に東京でお世話になった、キシタカさんの講習会が多度津であるので出かけた。
久しぶりの体術なので、加減と効果の関係が分らない状態であり、林さんには迷惑を掛けてしまった。
一番知りたかった術のヒントは得られたと思う。

それにしても人間の身体というのは不思議なものだ。つくづくそう思う・・・。

皐月

2006年05月01日 | Weblog
5月になったとたんに半袖が必要な暑さとなった。

内田樹氏が「知に働けば蔵が建つ」の中で、守さんとの站椿の練習について。
「むしろ「未知なるファクター」を迎え入れたときに、瞬間的に「それを含んだ新しい構造」を再構築する「柔軟性」と「開放性」の感覚を研ぎ澄ますことにあるのではないか。手と手が触れあう一瞬のうちに、「私を攻撃してくる相手」をも含んでなめらかに運動するバランスのよい構造を望見し、それを成就するためにもっとも効率的な動線を選んでただしく動く。そのような絶えざる自己解体=自己再構築の運動性をたかめることが形稽古のねらいではないのか。「負けない」とか「崩されない」とかいうタームで身体運用をしている限り、負荷がある闘値を超えたところで術は崩壊する。しかし、「相手の攻撃をも含んだかたちでの構造の自己組織化」というダイナミックなスキームで構想するならば、喩えて言えば、小企業が短期的に効率的な資金運用によっておのれに数倍する巨大な企業を買収することができるように、相手の大小や彼我の強弱とは関係ない次元で「自己組織化」は果たしうるはずである。

との表現があり、なるほど站椿の練習とはそういう意味なのか。と感じ入ってしまった。

氏の記事が先日の産経新聞の「産経抄」でも取り上げられており、目の離せない要注意人物である。