残り20年の人生の過ごし方

残り20年の人生を悔いなく過ごそう。
自分も自分の周囲の人達にも幸せを。

晦日

2005年11月30日 | Weblog
明日からの一ヶ月で今年も終わる。
ふと本屋で眼にとまった本があった。
宇城憲治氏監修の「古伝空手の発想」という本だった。
書いてある内容が、光岡師範の言われていることと全く同じであり、思わず「パクリ」と思ってしまうほどだった。
これまでは、古伝空手について知る事も知る気もなかったが、甲野先生の本の中に名前が出て来るので知っていた程度の認識だった。
読むにつれ、自分の知っている空手とは全く違う空手の様であり、韓氏意拳に非常に近い「身体能」と呼ぶ身体の使い方を求めている。
「すべての行動を、身体能の命令で動くように普段から鍛錬する」これは、韓先生や光岡師範の言われている言葉そのものである。しかしその具体論が分らなかった、分らないのが当然だった、なぜならば頭で考えていた事に気が付いていなかった。その糸口が見えてきた気がする。
内容で面白いのは、野球のバッターの構えからバットを取ると、単なるヘッピリ腰であり、身体の安定がないので3割程度で喜んでいる。とバッサリ「誰でもたちまち130キロが打てる武術打法」という著書の内容も興味を引く。


研究会 ②

2005年11月29日 | Weblog
前後試力で「始めと終わりがないように。」と注意を受けたことがあったが、挙式から抱式に移るときも同じようだ、という事は、站椿には途切れはないということなのか。
多分そうだろう、歩法にしても身体からの途切れに対する注意を受けるのだから。
なにか一つゴロリと石が転がったような気がする。多分気がするだけかも・・・。
でも、今まで身体で感じることの要求がなかったことから考えると、負のスパイラル状態でもないみたいだ。

研究会 ①

2005年11月27日 | Weblog
今日は11月度の香川稽古研究会だった。
やはり先週の練習内容からの修正ができておらず、ドボンだった。
気にしないように、バカ社長が出て来ないようにと思っても、構えてしまっている。
少しイメージ的に納得できたところもあったが、全滅って感じだった。
練習項目が増えている訳ではないのに、足踏みばかりしているという事は、動きの意味を理解できていないこと、意味を考える様な思考になっていないということかな。
動作をしている時は考えずに、動作が終わってから考えろ。と聞いた事があるのを思い出した。
動作が終わっても考えていない。これが問題かもしれない。

BS放送

2005年11月26日 | Weblog
最初はBS内臓のテレビを見ていたが、その後何年かしてBSチューナーが壊れてしまった。
なので、外付けのチューナーを購入したが、これもダメになってしまった。
でも、BS自体を見るチャンスは少なく、CNNか大リーグ中継を見るくらいでしかなかったので、そのまま放っておいたが、相次ぐ某国営放送局の受信料支払い拒否を見るにつけ、我が家では見てもいないのに受信料を支払っている事に気が付いた。
また、アナログからデジタルに移行する時期とのタイミングもあるので、デジタル放送が開始されるまで休止することにした。

早速某国営放送局に受信中止の旨を電話すると、時節柄もあり結構詳細な事まで聞いてきた。
しばらくして書類が送られてきたが、なんとも判断するのに、しばらく見つめていなければならないような書類ではないか。
もっと簡単な書き方もできるのに、何かわざと勘違いをさせるような書き方をしているのではないかと思わされてしまう。
何か不安を覚えてしまう。その書類の内容での問い合わせもあるのではなかろうか?
 
頭のいい人が考えると、ああいった書類になってしまうのだろうな。

芸術の秋

2005年11月25日 | Weblog
丸亀の猪熊弦一郎現代美術館で中川幸夫氏の展示会を観た。
写真そのものの凄さもさることながら、写真を撮るための準備にかける執念も凄まじいまでの徹底した思い入れを込めた構図、と表現力に迫力を感じてしまった。
芸術的センスの無い私にも、明らかに伝わってくるものがある。
年明けまで開催しているので、折を見てもう一度じっくりと鑑賞してみたいと思う。


個別練習 ④

2005年11月24日 | Weblog
問題の小式。一箇所の勘違いを修正すると、別の間違いが発生している。上下のバランス、回転方向へのバランス、抱式、等々にばらつきが・・・・。
そんな事をバカ社長が気にしていると、床と足とのすべりや摩擦に影響を受けてしまう。
大式椿の意味を教えてもらう。またまた早合点があったようだ。
これらの修正点を来週の練習会では、再度修正されないようにしなければ。
練習を終えて、先輩方の所へ行ってみると、まだ練習をしている!
真剣さの度合いが違っている。
その後、夕食をご一緒させてもらい、帰り道すがら林君と反省点や気づきなんかを話込んでいて、ふと気が付くと終点の宇野駅に着いていた。
茶屋町で多度津行きの鈍行に乗り換えた方が、坂出駅で待つより便利がいいような気がして、飛び乗ったのが宇野へ行ってしまった。バカだねエ。
それでもそのムダな時間を無駄に過ごさない。みっちりと復習の時間に充てる。(嘘!)
やはり個別指導は集団練習よりも師範を独占できるので、得る事や課題が多く発見される。
瀬戸大橋の存在が厄介だが、近くに最高の師範が在住されている事を利用しない手は無い。
次は2月になるだろうか?

新聞の勧誘

2005年11月23日 | Weblog
いきなり玄関が開いたかと思うと、そこには手に商品券を持った、知らないオジサンが立っていた。
そしていきない商品券を手に渡すので、どこから来た人かな~、何か不自然だなー。と思っているといきなり新聞の更新はいつからなのか?と聞く、そんな事覚えてもいないし、知らない押しかけのオジサンに答える必要もないので、「あんたは誰なの?」と聞くと実はA新聞だという事がわかり、そこで初めてA新聞への乗り換え勧誘である事が判明した。
そして、どこの新聞も書いてあることは同じなので、良い景品を貰った方が得だろう。とのたまわれた。
あんまり人をなめてもらっても困る。甘いとばかりは限らないのを知らない模様。
なので、A新聞はトラブルが多いですな~。と言ったところ、そうなんです。と素直に認めてしまった。
勧誘に乗らないことがようやく分ったようであり、せっかく手に持たせてくれた商品券を「じゃあそれ、返してもらいます。」と取り返されてしまった。
話に付き合ってやったんだから、置いとけよ。と言おうと思ったがやめた。
A新聞の取材内容や方法もさることながら、勧誘についても同様に問題があることを実感した。

個別練習 ③

2005年11月22日 | Weblog
光岡師範は、普通に歩いている様に見えるのに何故か速い。
聞くと、普段に歩くのは普通の人より遅い。との事だが、傍で見ても足の動き自体が速くはないのだが、足の動きに全くマッチしないくらい早く移動している。
これではいくら間合いを取っても、予想以上に早く詰められてしまう。これが歩法の威力なのだろうか。
「意拳」は間合いに入ってからの練習であり。間合いに入るまでは盆踊りをしていてもいい。という言葉の説得力が増す。
そして「ゆっくりとした動きが実は速い。」と謎めいた事を言われるが、いったい身体はどういった動きになっているのだろうか???
また大きな目標が出来てきた。悔しさ1割、嬉しさ9割。


個別練習 ②

2005年11月21日 | Weblog
テンセグリティの概念(?)が半年前には意味不明だったが、スッと飲み込めてしまった。
これは平面的イメージの具現化だが、人間の身体の中では多次元的に作用している!
なんとも人体の不思議さを思わずにいられない。
そのイメージを身体で表現できた時はOKの様だ。
頭でイメージする舒展と、身体でイメージする舒展の違いに、自分自身あまり分っていなかった。
もっとも舒展をしようとする事自体が、これはバカ社長の管轄下なのでNG。
これは大きな収穫。
次回の研究会では、このイメージを忘れない様にしたいものだ。

個別練習 ①

2005年11月20日 | Weblog
光岡師範宅へ練習に行く事になった。
丸亀の林君と落ち合い、宇多津からJRで出発しようとした時、師範宅の地図を持ってくるのを忘れていた事に気が付いた。
地図で大まかな方向くらいは分っていたが、何せ初めての場所なんで真っ直ぐはたどり着けないだろうけど、約束の時間に遅れる事だけは避けたかった。

しかし、なんと運良く町内の看板が立っており、それを見て一発で辿り着く事ができた。今までもそうだが、知らない場所でもそう迷う事なく到達できていた。今回も、その感が鈍っていないことが証明された様で、何となく嬉しい気がしている。

少し速くたどり着く事ができたので、午前の部の諸先輩方が師範を囲んでの談話中だった。
練習に先立ち、いろんな話をしている中で、いままで理由が分らず不思議な思いをしていた事の原因が見つかった様な気がした。
それは、タイに住んでいて日本に帰る時よりも、日本からタイに帰った時の方が”帰ってきた”と感じる不思議さ。これは、ほとんどの友人に共通した感覚だったので、不思議で仕方なかった。

元来日本人(あるいは人間自体)としてのDNAが求めている生活は、いわゆるスローライフであり、繁栄やビジネスについては戦後、あるいは明治以降の作られた社会が、身体になじんでいる訳ではない。
タイを含めた多くの国々は、日本より時間の流れがゆったりとしている。
一日の時間の24時間が変化する訳ではないが、日本よりもっと自然に近い生活をしており、その時間的感覚の差にがDNAが作用しているのではないか。
と考えればあの不思議な感覚については納得がいく。
それは、まさにしっくりと飲み込める感じがしている。

練習前から収穫が多く、というよりすでに練習に入っている?