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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

イタリア版佐藤寿人(ディ・ナターレ)

2013-02-11 19:43:16 | ワールドサッカー
スカパー無料放送で見たワールドサッカーは欧州リーグのリバプール対ウディネーゼです。この試合の注目ポイントは二つで、リバプールがどういうターンオーバーをするかと、ウディネーゼFWディ・ナターレのプレーでした。

欧州リーグの位置付けは日本に例えるとナビスコ杯くらいで、リバプールはスアレスもジェラードもスタメンから外しました。もちろん欧州タイトルが目前になったらベストメンバーを揃えて勝ちに行くのでしょうが、最初から飛ばしてはリーグ戦にも悪影響が出るという理由らしく、プレミアリーグのスタメンと同じ名前は4人だけでした。

後半20分過ぎにリバプールベンチは思い切ってスアレスとジェラードを投入したので、選手の休養にはなりませんでしたが、浦和もACLの強行日程を乗り切るにはこれくらいの思い切った決断も必要というヒントかもしれません。

ウディネーゼは正直、イタリア代表のFWディ・ナターレ以外の選手は知りません。ディ・ナターレは再三ビッグクラブからオファーを受けながら、それを断ってウディネーゼに残っていることは知っていましたが、ウディネーゼでのプレーを見るのは初めてでした。

ウディネーゼを率いているのはかつてビチェンツァを率いて旋風を起こした名将グイドリン監督です。上背はさほど高くないディ・ナターレをどう使いこなすかは注目でしたが、3-6-1の1トップでの起用でした。Jリーグのチームに例えれば広島で、ディ・ナターレは佐藤寿人と似た役割です。

佐藤寿人はスピードで相手の最終ラインとうまく駆け引きをして抜け出す動きで点を取っていますが、ディ・ナターレはテクニックの高さとポジショニングが売り物です。ゴール前にわずかに空いたスペースを見つけ出した同点ゴールと、フリーの味方を待つために見せたリフティングと、2度の得点に絡んだテクニックは確かでした。

リバプールもスアレスがFKを直接ねじ込んで追い上げましたが、アウェイで会心のサッカーをしたウディネーゼが3-2で勝利しました。カウンターの速さでプレミアリーグを戦っているリバプールはウディネーゼが引き気味のチームなので、ポゼッションサッカーで対抗しましたが、この試合はシーズン序盤だったので、まだカウンター狙いに特化はしていなかったのでしょう。
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速いカウンター(ウィガン対サウサンプトン)

2013-02-11 15:17:45 | ワールドサッカー
この3連休は最終日に3km歩けたものの、アクティブだと思っている私にしては動けておらず、家でワールドサッカーのビデオを見るのが精一杯でした。今日見た試合はウィガン対サウサンプトンで日本人はサウサンプトンCBの吉田がいますが、カード的には地味です。

もっとも、サウサンプトンの試合には慣れてきたので、サウサンプトンの攻撃陣の名前は覚えてきました。1トップのランバート、トップ下のラミレス、左MFのロドリゲスあたりのプレーはイメージできるようになりました。

サウサンプトンのサッカーは速いカウンターです。この形が機能するようになってから勝ち点が伸び始め、不可能かと思っていた降格圏脱出をついに実現しました。勝てるようになったのは守備が安定したからで、吉田にとってはこういうチームでプレーするのは自身の成長につながるでしょう。

もっとも、このウィガン戦は吉田のミスで失点もしています。相手ボールのCKで吉田がマークしていた相手を放してヘディングでゴールを決められました。フィジカルなら日本人トップの吉田ですが、まだアジアカップのカタール戦で退場したミスのような雑さは消えてはいないようです。

それでも、アウェイながら自分たちのサッカーを出せたのはサウサンプトンです。ランバートはプレミアリーグのイングランド人最多得点に並ぶ11点目を、得意の真ん中に張り付くプレーで頭で決めています。2部、3部、4部で得点王になっているランバートは、30歳で初めてのプレミアですが、これだけ点を取れば十分成功です。

印象に残ったのはサウサンプトンの2点目です。相手ボールのセットプレーのこぼれ球にショーとロドリゲスがつないで左サイドを走り、信じて走り込んだボランチのシュナイデルランのゴールで一旦リードを奪いました。惜しくもこのリードは守り切れず、ウィガンのCKで同点に追いつかれますが、カウンターサッカーをするというチームの意識は徹底していた印象です。

ドイツでは日本人対決は珍しくないですが、プレミアでは前節のマンU対サウサンプトンの香川対吉田が初めての日本人対決でした。この試合もウィガンに宮市がいるので可能性はありましたが、宮市の負傷で実現しませんでした。それでも、日本人対決で騒ぐ必要はない時代はすぐに来るでしょう。
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河津桜

2013-02-11 11:06:34 | 埼玉
寒さの続く今日この頃ですが、散歩に出かけたら写真の河津桜のつぼみが少しほころんでいました。季節は確実に春へ向かっています。またJリーグが始まれば当ブログもオフネタを抜け、試合レポートが並ぶことでしょう。
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トーナメント優勝(鶴竜)

2013-02-10 18:57:10 | 他スポーツ
スポーツ砂漠の今の時期、どこまで真剣にやるかは微妙でも、大相撲トーナメントは見ていました。優勝賞金1000万円はもちろん欲しいでしょうが、番付がかかっている相撲ではないので、怪我をしないことを優先しなければならない場面もあるでしょう。

白鵬が千代大龍に、日馬富士が栃ノ心に早い段階で敗れていたので、決勝戦のカードは大関鶴竜対平幕豐ノ島という地味な対戦になりました。その相撲は、鶴竜が右の上手を素早く引いたのが効いて、豐ノ島のお株を奪う速攻相撲で鶴竜が優勝します。

鶴竜は大関に上がる前の好調をなかなか取り戻せず、8番や9番で終わる場所が多くなっています。今回の大相撲トーナメントは上位に勝ったのが琴欧洲だけと組み合わせの幸運も作用したと思いますが、今回の優勝を是非とも春場所につなげて欲しいです。

鶴竜は上位に上がってきた頃は軽量力士で、突き押しの相手にもろ手突きを食らうと軽量を突かれてあっさり土俵を割ることもありました。今は体重も140kgを超え、大関にふさわしい体型にはなれたと思います。師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)はこの鶴竜の育成に関して、寺尾の突き押しと逆鉾のもろ差しを兼ね備えた力士になって欲しいと話していました。

鶴竜は下位相手には相撲巧者ぶりを見せる力士ですが、白鵬にはうまさ負けして大きく負け越しています。あまり目立つ特徴を持っていない力士でもあり、横綱大関の名前を思い出そうとすると一番最後まで名前が出てきません。

鶴竜への期待はまさにそこで、相撲の取り口で目立つ力士になって欲しいというのが希望です。うまさは既に持っていますが、千代の富士のような速さを見せて欲しいと思います。
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スカパー無料放送(ビルバオ対リヨン)

2013-02-10 13:25:29 | ワールドサッカー
今、スカパーの10日間無料放送が行われていますが、セリエAや欧州CLは無料放送の対象外で見ることはできませんでした。諦めかけたところ、BSスカパーの欧州リーグ(CLより格下のリーグ)が無料放送でした。いつかは見ようとまとめてビデオに入れておいて、今日はビルバオ対リヨンを見ました。

ビルバオはFWジョレンテ、リヨンはFWゴミスとMFグルキュフしか知っている名前はいないチームですが、ビルバオの監督がアルゼンチンの名将ビエルサというのがこの試合を見た理由でした。ビエルサがチリ代表を率いて来日したときのサッカーは印象的でした。

当時のチリ代表はベストメンバーではなかったですが、3-3-3-1という変則的な布陣を引いて素早くトライアングルを作る統制の取れたサッカーは印象的でした。当時の日本代表岡田監督がこのサッカーに感銘を受け、親善試合の対戦相手にチリを指名したほどです。

ビエルサのチームという期待通りだったところは十分ありました。ビルバオがグループリーグ突破が絶望的でエースストライカーのジョレンテを温存したのは残念でしたが、浦和のミシャサッカーに似ている中盤を薄くして前に人数をかけているサッカーは面白かったです。

もっとも、試合のペースはリヨンが握っていました。セットプレーに強いのはリヨンの長所で、ゴミスが動きの速さを見せてヘディングで先制点を取ると、素早く2点目を入れて優位に立ちます。ゴミスやグルキュフの名前を聞いたのはフランス代表で、特にグルキュフはジダンの後継者になれるという期待も受けたトップ下です。

最終スコアが3-2になったほどの乱戦だった割には、グルキュフはあまり目立たず、パサーではなさそうということくらいしかわかりませんでした。それでも、Jリーグより速い球回しはさすが欧州の強豪で、イブラヒモビッチを補強した優勝候補パリSGと優勝争いをしているチームらしいところは十分見られました。

ビルバオはバスク人だけでチームを作るという主義のチームで、創設以来一度も2部に降格したことがないです。この試合はほぼ敗退が決まっていた消化試合だったのは残念でしたが、ビエルサのような名将を呼べるところはさすがスペインリーグの古豪です。
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マンチーニのプレス(マンチェスターC対リバプール)

2013-02-09 17:40:21 | ワールドサッカー
平日のブログネタは記憶に頼っているので、こういうオフの時期はどうしても昔話が多くなります。今日は無事?に週末を迎えられたので、ワールドサッカーのビデオも見られました。カードはマンチェスターC(以下シティ)対リバプールです。

私が見ている試合にリバプール戦が多いのはリバプールがイングランドでレッズと呼ばれている理由も少しはありますが、たまたま日本がオフのこの時期に上位戦を多く組まれているのが理由で、実際この試合もシティの動きを中心に見ていました。

シティはCBコンパニーが負傷欠場、CBとボランチのトゥーレ兄弟はコートジボワール代表のアフリカ選手権に出場するために不在と、後ろの駒が足りません。そのため、この試合の注目ポイントはシティの監督、マンチーニの采配にしました。

マンチーニはイタリア人で、華麗な個人技を売り物にしていたトップ下でした。監督には不向きかもしれないと思っていましたが、インテルを率いてセリエA3連覇、シティでも昨年はリーグ優勝と現代の名将の一人と言えます。

そんなマンチーニのサッカーは意欲的に前から取りに行くプレッシングサッカーでした。リバプールが中盤で回しているときは威力を発揮して、1トップのボスニア代表ジェコもさぼらない意識の統一を見せ、リバプールのパスミスを誘って試合を優位に運びます。

シティの個人で目立ったのはアルゼンチン代表FWアグエロでした。映像では見られないスペインリーグのAマドリードにいたので、有名な選手ですがプレーを見るのは初めてでした。ジェコがいるのでアグエロのポジションはトップ下気味に置かれましたが、9得点と結果も出しています。

アグエロの売り物はスピードです。長い距離の方が得意で、ジェラード相手に走り勝つこともあり、あきらめの悪さも武器です。最後に出た同点ゴールはDFラインの裏に出たパスを追い、GKレイナが中途半端に出たところを角度のない位置から決めました。

もっとも、後半戦はリバプールのカウンター狙いがうまく機能した試合でもあります。リバプールは1トップにスターリッジというスピード型を置いているチームで、速いサッカーをやりたいというチームコンセプトは十分発揮しました。スターリッジ、ジェラードと強烈なシュートを2度見られた、見応えのある試合でした。
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17点

2013-02-09 14:47:33 | 雑記
タイトルの17点は、100点満点のテストで取った自分の最低点です。教科は算数で、小学校時代の進学塾の第1回のテストで味わった今でも覚えている屈辱です。今思えば、小学校の算数と進学塾の算数では全然レベルが違って当然なのですが、小学校で成績はいい方だった私には信じられない現実でした。

後で中学受験をくぐり抜け、進学した中学で同級生の話を聞くと、小学校の算数を遥かに超えるレベルの中学で学ぶ内容を、地元の塾で学んでいたそうです。そんなレベルは見たことがなかった私は、準備を怠れば痛いしっぺ返しを受ける洗礼を初めて受けたのがこの17点でした。

もっとも、小学校の算数は答えさえ合っていれば途中はどんな解き方をしてもいいルールです。連立方程式の加減法を知らなかった私は、自分で代入法を考えて美しくない解法で答えを出していました。また、中学受験の算数は答えはだいたい整数です。どうしても解けなければ、近そうな値を代入して行けば当たることもあります。

算数では壁を感じた私が、進学塾の勉強を嫌いにならなかったのは他の教科が通用したからです。同級生に話を聞けば、国語の問題になりそうな川端康成や芥川龍之介の小説は読んでいたという努力をしていたそうですが、私は見たことのない文章を読めるのが楽しくて、テストはなぜか通用していました。

好きだったのは社会と理科でした。社会は歴史の流れが好きで、戦国時代の武将の名前や明治維新の流れを覚えるのは楽しみでした。もっとも、苦手は文化で、流れがなく固有名詞を覚えるだけになってしまうのは苦しかった記憶があります。

理科が好きだったのは理系に進学したのだから当然かもしれませんが、小学生の私にとって未知の科学分野が頭に入ってくるのは楽しみでした。もっとも、勉強の息を抜くことも自分なりに考えていて、当時の人気漫画のキン肉マンを帰りの電車で読むことも楽しんでいました。

この経験をしていたから、普通の人が高校受験をする中学3年のときに旅行することができました。中学と高校が一貫校で、当時の友達が6年間一緒だったので、今でも交流がある友達もいます。
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上海の思い出

2013-02-08 22:25:40 | 雑記
オフネタで書き綴っていた海外旅行ネタですが、もう13年も海外に行っていないので、そろそろネタが尽きます。今回書くのは最後に海外に行った、中国の上海の思い出です。上海は日本からのアクセスは良く、普通の週末に有休1日をつければ十分楽しめます。

この旅は中国通の友人と一緒に行ったので、口につける箸や湯飲みはアルコールティッシュで消毒をしておく必要があることや、火を通した食べ物を選ぶことなど対策を打ってくれて、胃腸をやられないで済みました。

旅をしたのは4月半ばでしたが、上海の気候は東京の気候と似ていて、特別に防寒着を用意する必要がなかったのは助かりました。上海は表通りは大都会らしい商店街になっていますが、一本路地を入ると発展途上国の顔も持っています。鶏を生きたまま売るのは冷凍技術の未発達を表すもので、のちの新型肺炎SARSの流行はこういう環境も理由ではと思います。

もっとも、怪しい人もいる街の雰囲気から確実に逃げられる手段はあります。それはホテルのロビーの喫茶室で、コーヒーの値段は300円ほどとそんなに安くはありませんが、この値段は当時は中国の庶民には相当の精神的障壁のようで、安心して休憩できる場所でした。

上海の街には19世紀に外国資本で建てられた洋風建築が集まっているバンドと呼ばれる観光地があります。中国はたとえ外国資本が作った建物でも良ければ残すという文化があり、この一角は中は改装されてホテルになっていますが、外見は19世紀のままです。もっとも、屋根の上のポールは中国の五星紅旗で、今はもう中国のものということはアピールしていました。

その古い市街から、渡し船で川を渡ると、新しい街の建設ラッシュでした。当時は地下鉄が工事中で電車では直接この街へは行けませんでしたが、ウルトラマンに出てきそうなSFチックな電波塔やエンパイヤステートビルに似た高層建築などは発展している中国を示していました。

今は国際空港から上海の中心部までリニアモーターカーが開通していて、アクセスは当時より良くなっています。街中に軍人が立っているものものしさはどうなっているかわかりませんが、中国という国が持っているエネルギーは感じられた旅でした。
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真夏の消化試合(2005年イラン戦)

2013-02-08 18:32:46 | ワールドサッカー
ラトビア戦はテレビ観戦だったので、マニアック分析を書けるほどネタを持っていないので、またオフネタの昔話で失礼します。レッズの試合は昨年の最終戦の名古屋戦ですら槙野のFK以外は忘れているのに、代表戦だと昔の試合を覚えているのは不思議ですが、今回ネタにするのはジーコジャパン時代の最終予選、横浜国際競技場のイラン戦です。

当時の日本は、中立地開催だったアウェイの共和国戦で勝利して予選突破を決め、最終戦のイラン戦は消化試合でした。そのため、イランはバイエルン(ドイツ)のカリミが欠場するなどベストメンバーは来日させませんでした。

それでも、この試合のイランには一つ楽しみがありました。それは当時36歳の大ベテラン、アリ・ダエイを見る最後の機会だからでした。体の強さと打点の高いヘディングを武器に、全盛期はバイエルンでプレーしていたダエイも、当時はイラン国内のチームに戻っていました。

4-2-3-1の1トップに入っていたダエイは、残念ながら全盛期は過ぎていて、中澤佑二にはヘディングで勝てなくなっていました。しかし、そんなダエイを1トップに置くのは何か意味があるのだろうと思って、消化試合で気楽だった私はダエイ中心に見ていました。

日本人だと、ポストプレーヤーは足元が下手なケースが多いですが、ダエイは足元はうまいです。その技術を生かそうとしたイランは、ダエイにキープさせたタイミングで3シャドーを走らせるサッカーをしていました。ダエイは前線のゲームメーカーという使い方です。

ただ、この試合はお盆休みの時期だったので、横浜はうだるような暑さでした。ダエイのうまさは伝わっても、日本の夏の厳しさはイランの選手にはこたえたようで、走って欲しいシャドーの選手の動きが今一つでした。

また、イランの弱点も表に出ました。それはDFの視野が狭く、走る選手とクロスボールを同時に見られないことです。大黒あたりに容易に後ろに走られるイランのDFを見れば、三都主がボールを持ったときに「ここでクロスが入れば1点」とスタンドで一人つぶやいていました。

どうやって点が入ったかは覚えていませんが2-1で日本が勝ったことだけは覚えています。あまり苦しまないで済んだ最終予選は初めてで、本当にW杯に出られることが信じられなかった記憶があります。
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韓国、慶州の思い出

2013-02-07 19:49:06 | 雑記
もうだいぶ前の話ですが、私は学会発表という業務で韓国の観光地慶州に行ったことがあります。仕事だったので、いいホテルに泊めてくれたので、ホテルは日本語が通じ、NHK-BSも映るので大相撲の結果もわかりました。

韓国という国はハングルこそ日本人には読めませんが、日本に似ているところもたくさんある国です。食事のときに箸を使うことや、ご飯が主食であることや、日本酒と同じ純米酒があることなどです。韓国は日本と違って松茸がたくさん取れる国なので、松茸定食は1000円ちょっとで食べられました。

韓国といえばキムチのイメージですが、韓国では日本における漬物と同じ感覚で、定食を頼めば付け合わせで出てきます。そのため、韓国人が日本に来るとキムチが有料なのに驚くそうです。もっとも、泊まったホテルがいいホテルだったので、韓国料理より中華料理やイタリアンのレストランが目立ちました。

学会の一部のセッションを抜け出して、慶州の観光地仏国寺にも行って来ました。入り口の狛犬は戦国時代の朝鮮出兵で加藤清正に持ち去られたという話ですが、古いお寺を大事にするところは日本の価値観に近いです。

学会が終わった後は市内観光をしました。博物館にも行きましたが、日本の正倉院とよく似た楽器もありました。しかし、日本は正倉院で長い年月を守り抜いたので保存状態はいいですが、韓国では前の王朝のものは徹底的に破壊する習慣があるらしく出土品で保存状態は良くありませんでした。

また、公園になっている古墳群もありました。高さなら日本と同じような円墳で、韓国という国に日本と近いところがあるのは面白い経験でした。ただ、英語はあまり通じません。stationというより、日本語で駅と言った方が通じました。物価は日本の半分ほどで、缶ジュース一本が50円ほどでした。

慶州は釜山国際空港の方が近い町なので、ソウルへは行ったことがありません。今年は無理ですが、いつか浦和の試合で韓国へ行きたいという夢は持っています。
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