大相撲夏場所が中止になり、NHKではその穴埋め番組として、過去の相撲から「大相撲この一年」の昭和62年版を再放送していました。その中では、今でも最強力士は彼ではないかと当時少年だった私の記憶に刻まれている、元横綱千代の富士を取り上げます。千代の富士は優勝31回(史上3位)、通算1045勝(史上3位)などの大記録を誇っています。
千代の富士といえば、鎧とも思えるような筋肉質の肉体が真っ先に思い出せます。この体は、肩に脱臼癖がある千代の富士が、肩を外れにくくするために鍛え抜いた結果です。体脂肪率一桁と太れない体質だった千代の富士にとって、この筋肉が35歳まで横綱を務めた長い現役生活を支えました。
千代の富士で思い出すのは、大乃国に対して上手投げで勝って優勝を決めながら、その一番で肩を脱臼して千秋楽を休場し、腕をテーピングで釣っている状態で賜杯を受け取った場所です。この脱臼癖のため、千代の富士は休場が多かったので、年間最多勝のような連続出場を要求される記録は「苦手」にしていました。その休場した場所に強かったのが、同部屋の北勝海でした。九重部屋で年間6場所をすべて制した年もあります。
また、北勝海とは「いつか同部屋で優勝決定戦をやりたい」と話していました。それは実現しましたが、千代の富士が娘を亡くして弔い合戦に燃えていた場所だったのは不運で、お互いにやりにくそうな雰囲気が漂う中千代の富士が勝って優勝します。35歳で優勝するなど、引退の直前まで強かった横綱という印象です。
千代の富士といえば、ウルフスペシャルと呼ばれた左からの上手投げが印象的ですが、投げで勝つと肩を痛めるので、前みつを引いてからの速攻で勝つ相撲が主体です。また、土俵の広さに対する感覚は天才的で、相手に押し込まれても土俵際で残っており引き落としなどで白星を拾った相撲も思い出せます。
千代の富士が引退するきっかけになった、貴花田(のちの貴乃花)との相撲も思い出せます。千代の富士に左上手を取らせずに低い姿勢で勝ち切った貴乃花はのちに大横綱に育つ将来性を感じました。この場所で引退し九重部屋を継ぎましたが、ガンのため65歳の定年までは生きられず亡くなりました。今は白鵬など、千代の富士を記録的に上回る力士もいますが、私の中では一番です。
千代の富士といえば、鎧とも思えるような筋肉質の肉体が真っ先に思い出せます。この体は、肩に脱臼癖がある千代の富士が、肩を外れにくくするために鍛え抜いた結果です。体脂肪率一桁と太れない体質だった千代の富士にとって、この筋肉が35歳まで横綱を務めた長い現役生活を支えました。
千代の富士で思い出すのは、大乃国に対して上手投げで勝って優勝を決めながら、その一番で肩を脱臼して千秋楽を休場し、腕をテーピングで釣っている状態で賜杯を受け取った場所です。この脱臼癖のため、千代の富士は休場が多かったので、年間最多勝のような連続出場を要求される記録は「苦手」にしていました。その休場した場所に強かったのが、同部屋の北勝海でした。九重部屋で年間6場所をすべて制した年もあります。
また、北勝海とは「いつか同部屋で優勝決定戦をやりたい」と話していました。それは実現しましたが、千代の富士が娘を亡くして弔い合戦に燃えていた場所だったのは不運で、お互いにやりにくそうな雰囲気が漂う中千代の富士が勝って優勝します。35歳で優勝するなど、引退の直前まで強かった横綱という印象です。
千代の富士といえば、ウルフスペシャルと呼ばれた左からの上手投げが印象的ですが、投げで勝つと肩を痛めるので、前みつを引いてからの速攻で勝つ相撲が主体です。また、土俵の広さに対する感覚は天才的で、相手に押し込まれても土俵際で残っており引き落としなどで白星を拾った相撲も思い出せます。
千代の富士が引退するきっかけになった、貴花田(のちの貴乃花)との相撲も思い出せます。千代の富士に左上手を取らせずに低い姿勢で勝ち切った貴乃花はのちに大横綱に育つ将来性を感じました。この場所で引退し九重部屋を継ぎましたが、ガンのため65歳の定年までは生きられず亡くなりました。今は白鵬など、千代の富士を記録的に上回る力士もいますが、私の中では一番です。
この番組、見逃しました💦
子供の頃に千代の富士が大活躍していて、両親の影響でわたしも彼の大ファンでした。
体は小さいのに無敵で、苦難をバネにどんどん強くなって、取り口も素晴らしく、真の大横綱ですよね!
コロナ禍で非常事態ないま、もし彼が生きていたら、どんなふうにわたしたしを力づけてくれるだろうと思ってしまいました。
千代の富士、あの当時でも小さな120kg台の体で、巨漢力士を正面から寄り切る、強い力士でした。
史上3位の53連勝もありましたね。このときは本気で双葉山の69連勝を狙っていたと本人も振り返っていました。
今、彼が生きていたらどう言うでしょうか。たぶん白鵬のことは「俺なんかとっくに超えられているよ」と称えたと思います。ウルフ、生きていれば今年が親方を定年になる年でした。相撲界を離れても、きっとテレビなどで活躍されていたんじゃないかなと想像します。