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無事是名馬(魁皇)

2020-01-06 22:16:03 | 他スポーツ
今日はネタがないので、困ったときは昔の力士から、元大関魁皇の浅香山親方の現役時代の記憶です。魁皇といえば、史上2位となる通算1047勝の記録を持っています。当時、千代の富士が持っていた1045勝を更新しており、インパクトはありましたが、強さで達成した千代の富士とは違って、魁皇は驚異的な力士寿命の長さで達成した記録です。

千代の富士の記録とは意味合いが違うことは魁皇自身も理解しており、「勝ち星の数で上回ったからといって、あの大横綱を上回ったことにはならない。」と自ら認めています。しかし、最高位が大関以下の力士では最強と言ってもいい力士で、下手な横綱をも上回る優勝5回の記録があります。たまたま、その優勝が連続していないため横綱にはなれなかった力士です。

また、魁皇の時代は、横綱昇進には何が何でも2場所連続優勝と横審がこだわっていた時代なのも不運でした。鶴竜あたりから昇進の基準が緩み、1回の優勝で横綱になる力士もいたので、その時代だったら可能性もあったかもしれません。もっとも、魁皇は晩年、毎場所のように8勝7敗で大関を守っていたので、横綱になっていたら30歳前後で引退に追い込まれていた可能性が高いです。

魁皇といえば、左四つ右上手という型がはっきりしていた力士としても印象的です。得意の上手を引けば、当時四つ相撲になったら絶対に負けないほどの安定感を誇っていた全盛期の貴乃花に、四つ相撲で勝てる唯一の力士でした。魁皇が勝つときは、右上手を引いてすぐに投げを放ったときと決まっていました。

晩年の8勝7敗の連続は議論を呼んだのも確かで、「大関の地位を軽くした」と厳しい論調が新聞に載ったこともあります。それでも、魁皇は前半戦で4勝4敗といった低空飛行はざらでしたが、その後他の大関に勝って何とか8勝7敗に持ち込んでいました。当時の大関陣、琴欧洲や日馬富士、琴光喜らと対戦してほぼ五分の成績を残していました。

今は浅香山親方となり、果たせなかった横綱の夢を後進に託す立場です。5回優勝したことは素晴らしいですが、その5回の中に地元九州場所がなかったことが、彼の残したほんの少しの悔いかもしれません。
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