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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

中村紀洋、2000本安打達成

2013-05-11 23:03:42 | 他スポーツ
横浜DeNAの中村紀洋選手が、通算2000本安打を達成しました。イチローなどのように若くして2000本安打を達成するような選手なら、格好良く2000本安打は通過点と言い切れるのですが、中村の場合は苦しみもがいて、やっとの思いでたどり着いた2000本です。

中村は大阪の渋谷高校から、ドラフト5位で近鉄に入団します。そのパワフルな打撃は近鉄の「いてまえ打線」を支え、ローズと組んだ中軸で2001年に近鉄を優勝に導きます。たぶん、そのまま近鉄が残っていればもっと順調に2000本に到達できたと思いますが、近鉄はオリックスと合併し、新オリックスに統合されます。

これで中村はメジャーを目指そうという方向に進みますが、メジャー通算安打数はわずか5本と完全に失敗に終わります。長距離砲タイプはなかなかメジャーでは通用しない傾向があり、松井秀喜にしてもメジャーに行ってからは中距離打者と切り替える必要がありました。メジャーを引き払った中村はオリックスに戻りますが、ここでは打撃不振に苦しみ、一時は引退の危機に陥ります。

手を差し伸べたのは中日でした。育成選手まで経験するどん底を味わいながら、結果を出して一軍に上がり、再びサードのポジションをものにします。その後は楽天、DeNAと渡り歩き、何度も引退の危機を乗り越えて、39歳でようやく到達した2000本安打は、これはこれで価値のある記録です。

その後、谷繁も2000本を達成しました。谷繁の場合、横浜、中日と捕手のポジションは安定して確保していたものの、決して打撃タイトルを争うような強打者ではなく、42歳の今まで現役を続けていたからこその記録です。これも違った価値のある2000本で、長く現役を続けることの価値を示した、相撲で言えば魁皇の最多勝記録のような記録だと思います。
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長嶋茂雄、松井秀喜、国民栄誉賞

2013-05-11 13:16:00 | 他スポーツ
今日は埼スタへ行きます。浦和対鹿島の試合内容の即日更新はできない可能性があるので、穴埋めネタを用意して出かけます。スポーツ界のビッグニュースで、長嶋茂雄さん、松井秀喜さんの国民栄誉賞があります。

長嶋は私にとってはリアルタイムで知っている選手ではなく、巨人の監督で90番を背負っていた人のイメージです。巨人軍は永久に不滅ですの名言を残して引退しましたが、当時は子供だったので覚えていません。立教大学時代にホームランの記録を残し、当時は東京六大学野球中継の街頭テレビに人垣ができた逸話もあります。

私より10歳ほど上の方なら、たぶん巨人ファンなら長嶋は神様のような存在でしょうし、アンチ巨人なら憎むべき敵だったと思います。巨人のV9を牽引した、今は伝説ですし、生きている間に国民栄誉賞を受賞すべきだと思った方は多いと思います。

松井秀喜の方が、リアルタイムで現役時代を知っている選手なので、印象は深いです。長嶋は監督としては、若手を育てた手腕を評価されていますが、松井秀喜も長嶋が育てた名選手の一人です。松井秀喜は「仏の松井」と呼ばれ、野球に関しては紳士的な態度が評価されている選手ですが、プロとしての基礎を作った長嶋監督の指導は、間違いなく後の松井秀喜を支えたと思います。

授賞式で、松井秀喜は「王さんのようにホームランの記録を作ったわけでもなく、衣笠さんのように連続出場したわけでもない」と国民栄誉賞には恐縮していました。松井秀喜が評価できる理由は、ヤンキースで主力選手としてプレーしたことです。

このブログの読者はサッカーのファンが多いと思いますが、ヤンキースはサッカーでいえばRマドリードのようなもので、世界レベルの名門で日本人選手が主力を張れるという事実が野球少年に与えた影響は大きかったと思います。また、ヤンキースでもワールドクラスの名選手から、松井秀喜のプロ意識の高さは評価されていました。

松井秀喜がエンゼルスに移ってから敵としてヤンキースタジアムに来たときに、ヤンキースの選手が握手を求めた事実にも現れています。最近は日本人のメジャー挑戦は苦戦している傾向があるだけに、改めて松井秀喜の偉大さを感じる次第です。師、長嶋茂雄とセットで受賞するこのタイミングしか、国民栄誉賞をもらうことはなかったと思うので、良かったと思います。
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