1998年フランスW杯予選中に帰化申請が通り、突然現れた日本代表ということで当時話題になった呂比須(ロペス)ワグナー選手の思い出です。呂比須は当時JFLの柏でプレーしていましたが、柏が新外国人を補強することになり、アマチュアの本田技研でプレーした経験もあります。
本人は、「日本代表に入るために帰化したわけではない」と強調するように、日本という国が好きだから帰化した選手で、日本語もかなり早くから覚えていたようです。ただ、やはりJFLの選手ですから当時のプレーは見ておらず、呂比須の思い出は風のように現れ風のように去った日本代表時代のプレーに限られます。
しかも、呂比須帰化のタイミングが、W杯最終予選の3戦目の韓国戦の直前で、この突然現れた日本代表をどう扱うかは加茂監督の手腕が問われましたが、結果はスタメン起用とサポーターの期待には応えてくれました。当時はカズと2トップを組んでいましたが、この呂比須に替えて秋田を入れた交代が失敗で、加茂監督の更迭問題に発展することになります。
加茂監督を受け継いだ当時ヘッドコーチの岡田監督は、呂比須をウズベキスタン戦でベンチスタートにします。途中出場した呂比須は、井原からのロングボールを頭で合わせ、相手GKのミスで同点ゴールを奪います。この勝ち点1はどういう影響が出るかわからないが、ゼロよりは間違いなくいいだろうとサポーターとしては少し前を向けた引き分けでした。
私が覚えている呂比須のベストゴールは、最終予選6戦目のUAE戦の先制ゴールです。この試合から岡田監督がトップ下に北澤を入れて、ダイヤモンドの中盤で強気に攻める方針に変え、その策が見事に当たって開始まもなく呂比須が右ポストを叩いて決めたゴールです。このサッカーは面白いと思い、W杯予選の通過も期待しましたが、結果は通過こそしたものの苦しみました。
呂比須はフランスW杯に出場して、日本人の中ではテクニック的には通用するとインパクトは残しましたが、W杯のあとは代表には呼ばれなくなってしまいました。その後はFC東京、アビスパ福岡でプレーしますが、最後はJ2で現役生活を終えます。
今年、G大阪のヘッドコーチで日本に帰ってきたのは一つの挑戦でしたが、結果を出すことはできませんでした。しかし、あの苦しかったフランスW杯の予選、呂比須がサポーターに与えた存在感はさすがでした。またどこかのチームの指導者になって戻ってくれることを期待したいです。
本人は、「日本代表に入るために帰化したわけではない」と強調するように、日本という国が好きだから帰化した選手で、日本語もかなり早くから覚えていたようです。ただ、やはりJFLの選手ですから当時のプレーは見ておらず、呂比須の思い出は風のように現れ風のように去った日本代表時代のプレーに限られます。
しかも、呂比須帰化のタイミングが、W杯最終予選の3戦目の韓国戦の直前で、この突然現れた日本代表をどう扱うかは加茂監督の手腕が問われましたが、結果はスタメン起用とサポーターの期待には応えてくれました。当時はカズと2トップを組んでいましたが、この呂比須に替えて秋田を入れた交代が失敗で、加茂監督の更迭問題に発展することになります。
加茂監督を受け継いだ当時ヘッドコーチの岡田監督は、呂比須をウズベキスタン戦でベンチスタートにします。途中出場した呂比須は、井原からのロングボールを頭で合わせ、相手GKのミスで同点ゴールを奪います。この勝ち点1はどういう影響が出るかわからないが、ゼロよりは間違いなくいいだろうとサポーターとしては少し前を向けた引き分けでした。
私が覚えている呂比須のベストゴールは、最終予選6戦目のUAE戦の先制ゴールです。この試合から岡田監督がトップ下に北澤を入れて、ダイヤモンドの中盤で強気に攻める方針に変え、その策が見事に当たって開始まもなく呂比須が右ポストを叩いて決めたゴールです。このサッカーは面白いと思い、W杯予選の通過も期待しましたが、結果は通過こそしたものの苦しみました。
呂比須はフランスW杯に出場して、日本人の中ではテクニック的には通用するとインパクトは残しましたが、W杯のあとは代表には呼ばれなくなってしまいました。その後はFC東京、アビスパ福岡でプレーしますが、最後はJ2で現役生活を終えます。
今年、G大阪のヘッドコーチで日本に帰ってきたのは一つの挑戦でしたが、結果を出すことはできませんでした。しかし、あの苦しかったフランスW杯の予選、呂比須がサポーターに与えた存在感はさすがでした。またどこかのチームの指導者になって戻ってくれることを期待したいです。