代表の親善試合では全く使われなかった松井大輔選手ですが、韓国戦の段階で別メニューだったので、コンディション次第ということだと思います。私が初めて松井を見たのは2000年の高校サッカー選手権決勝の鹿児島実対市立船橋です。
当時の鹿児島実は田原(湘南)の1トップのチームで、トップ下に入った松井はある程度キープしながら試合の流れを作る役割でしたが、時折ドリブルは見せるものの、持ちすぎずに早めに味方に預けていたのが印象的でした。
高校卒業後は、出身地のチームの京都サンガに入団します。若いうちから10番をもらった松井は、2002年の天皇杯優勝に大いに貢献します。しかし、チームが翌年J2に降格して、松井はJ2でプレーすることになります。
しかし、どうしても松井を残留させたかった京都側が、契約更改のときに「海外チームからオファーがあれば移籍金をただにする」という契約を結んでいました。今の松井があるのはこの契約が大きいです。京都側はJ2の選手に海外からオファーが来るはずないと思っていたかもしれませんが、実際はフランスリーグ2部のルマンがオファーを出しました。
当時、外国語に堪能な元スチュワーデスと入籍していた松井は、外国生活も不安はないと、人口5万人の小さな街のルマンでプレーすることにしました。今、日本の若い選手の海外志向に火を付けたのはおそらく松井の成功で、自らルマンを1部に上げて念願の1部でのプレーを実現させます。
それからは、代表の岡田監督に左サイドハーフのポジションで起用されるようになり、代表でも必要な存在になります。印象的だったプレーは、W杯3次予選のオマーン戦で、相手の緩慢な動きを見逃さず、後ろからプレッシャーを掛けてボールを奪い、中村俊輔のゴールにつなげたプレーです。
また、オシム前監督時代も前を向いたドリブルでスイス戦でPKを取っています。右サイドハーフに中村俊輔、左サイドハーフに松井と並ぶと、サイドハーフのところでボールが落ち着くので、ボランチやSBが信じて攻め上がるサッカーが可能でした。
松井に出番があるかどうかは現時点ではわかりませんが、出たら是非前を向いて仕掛けて欲しいです。
当時の鹿児島実は田原(湘南)の1トップのチームで、トップ下に入った松井はある程度キープしながら試合の流れを作る役割でしたが、時折ドリブルは見せるものの、持ちすぎずに早めに味方に預けていたのが印象的でした。
高校卒業後は、出身地のチームの京都サンガに入団します。若いうちから10番をもらった松井は、2002年の天皇杯優勝に大いに貢献します。しかし、チームが翌年J2に降格して、松井はJ2でプレーすることになります。
しかし、どうしても松井を残留させたかった京都側が、契約更改のときに「海外チームからオファーがあれば移籍金をただにする」という契約を結んでいました。今の松井があるのはこの契約が大きいです。京都側はJ2の選手に海外からオファーが来るはずないと思っていたかもしれませんが、実際はフランスリーグ2部のルマンがオファーを出しました。
当時、外国語に堪能な元スチュワーデスと入籍していた松井は、外国生活も不安はないと、人口5万人の小さな街のルマンでプレーすることにしました。今、日本の若い選手の海外志向に火を付けたのはおそらく松井の成功で、自らルマンを1部に上げて念願の1部でのプレーを実現させます。
それからは、代表の岡田監督に左サイドハーフのポジションで起用されるようになり、代表でも必要な存在になります。印象的だったプレーは、W杯3次予選のオマーン戦で、相手の緩慢な動きを見逃さず、後ろからプレッシャーを掛けてボールを奪い、中村俊輔のゴールにつなげたプレーです。
また、オシム前監督時代も前を向いたドリブルでスイス戦でPKを取っています。右サイドハーフに中村俊輔、左サイドハーフに松井と並ぶと、サイドハーフのところでボールが落ち着くので、ボランチやSBが信じて攻め上がるサッカーが可能でした。
松井に出番があるかどうかは現時点ではわかりませんが、出たら是非前を向いて仕掛けて欲しいです。