岡野雅行選手の印象ということになると、古株サポの私は、岡野が新人時代の94年からオジェック元監督時代の96年までの活躍が忘れられません。初ゴールは2-7で完敗したアウェーの名古屋戦で決めた為、記憶にありませんが、駒場での初ゴールならよく覚えています。
当時は、駒場のチケットは普通の人では手が出ないプラチナチケットでした。チケットが入手できない人が多くなった事実を見て、浦和の営業部は当時は土のグラウンドだった駒場のサブグラウンドに敷物を敷いて、大型のオーロラビジョンで試合を見せるイベントを開いていました。一応はがき抽選もあったこのイベントですが、外れたことはなかったです。
岡野の駒場初ゴールは、このオーロラビジョンで見ました。左サイドにいた岡野が、右からのクロスをトラップミスしたボールが、そのままゴールに吸い込まれた伝説のゴールです。ゴールになるとはまったく思わなかった岡野は、そのボールを必死でゴールまで追いかけたほどでした。その年はそれほどのゴールは決めませんでしたが、「走るだけで感動を与える」と言われた必死さはサポーターの胸に響きました。
翌95年は、国立の試合ならチケットが手に入るようになり、いろいろなゴールを見ることができました。V川崎戦での、水内のセンタリングをダイレクトボレーで合わせたゴールも伝説的なゴールです。テレビ観戦でしたが、大宮での鹿島戦で、ゴール前での接触があり、PKをアピールしていた岡野でしたが、ボールはそのままゴールに吸い込まれたというゴールもありました。
95年の後期から、シーチケホルダーになった私は、それ以降はたくさんの岡野のゴールを見ているはずですが、記憶にあるのは昔のゴールばかりです。それは、岡野がFWから右サイドからクロスを上げるチャンスメーカーになったことも影響していると思います。ただ、新人時代はお世辞にも上手いとは言えなかった岡野が、生きていくために学んだ正確なクロスが、現在までつながる選手生活を支えているのでしょう。
岡野が2004年に浦和復帰を決めた時点で、既に田中達也は台頭しており、出番が少なくなるのは承知で移籍したはずです。それでも、岡野は今でもブッフバルト監督の信頼は得ていて、ほとんどの試合でベンチに入っています。今年も福岡戦のアシストもありますし、是非もう一花、何か思い出に残る活躍を期待したいです。
当時は、駒場のチケットは普通の人では手が出ないプラチナチケットでした。チケットが入手できない人が多くなった事実を見て、浦和の営業部は当時は土のグラウンドだった駒場のサブグラウンドに敷物を敷いて、大型のオーロラビジョンで試合を見せるイベントを開いていました。一応はがき抽選もあったこのイベントですが、外れたことはなかったです。
岡野の駒場初ゴールは、このオーロラビジョンで見ました。左サイドにいた岡野が、右からのクロスをトラップミスしたボールが、そのままゴールに吸い込まれた伝説のゴールです。ゴールになるとはまったく思わなかった岡野は、そのボールを必死でゴールまで追いかけたほどでした。その年はそれほどのゴールは決めませんでしたが、「走るだけで感動を与える」と言われた必死さはサポーターの胸に響きました。
翌95年は、国立の試合ならチケットが手に入るようになり、いろいろなゴールを見ることができました。V川崎戦での、水内のセンタリングをダイレクトボレーで合わせたゴールも伝説的なゴールです。テレビ観戦でしたが、大宮での鹿島戦で、ゴール前での接触があり、PKをアピールしていた岡野でしたが、ボールはそのままゴールに吸い込まれたというゴールもありました。
95年の後期から、シーチケホルダーになった私は、それ以降はたくさんの岡野のゴールを見ているはずですが、記憶にあるのは昔のゴールばかりです。それは、岡野がFWから右サイドからクロスを上げるチャンスメーカーになったことも影響していると思います。ただ、新人時代はお世辞にも上手いとは言えなかった岡野が、生きていくために学んだ正確なクロスが、現在までつながる選手生活を支えているのでしょう。
岡野が2004年に浦和復帰を決めた時点で、既に田中達也は台頭しており、出番が少なくなるのは承知で移籍したはずです。それでも、岡野は今でもブッフバルト監督の信頼は得ていて、ほとんどの試合でベンチに入っています。今年も福岡戦のアシストもありますし、是非もう一花、何か思い出に残る活躍を期待したいです。