で、その中に「認知症に対する看護」の章があって考えさせられた。
『できなくなった』ことより『まだできる』ことに注目しよう。
わかってるんだけど、ついイライラしてしまう。
こっちの心の余裕ってゆーか、器の大きさが問われますよね
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。
あと、認知症の人とつきあうための11のコツというのが載っていた。
1.選択肢を用いた質問
「何飲みたい?」→「コーヒーとお茶、どっちを飲む?」
2.家族自身の感情を伝える。
用件だけ(「今日何食べる?」「洋服はここ」等)ではなく「花がきれいね。」とか。
3.会話のなかの間違いをひとつひとつ訂正せず、やんわり言い換える。
「雨が降ってきた。」
「そうね、雪が降ってきたみたいよ。」
4.やりとりのなかで、手がかりとなる品物や見本などを示す。そのものを忘れてしまっているかもしれないので、実際のものをみせる。
5.表情豊かに話す。
言葉がわからなくなっていても、ニュアンスで伝わりやすくなる。
6.一文は短く。
7.ひとつの文章にやって欲しいことはひとつだけ。
8.相手が家族の言葉を理解できていないようならば違う言葉に置き換えてみる。
「 ひとというものは不思議なもので、同じ言葉を繰り返しているとうんざりし、だんだん大きな声になっていくものです(←ほんとに!ココ、笑った
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)。
大きな声は怒っているように聞こえるので相手は萎縮し、余計に頭に言葉が入ってこなくなります。」
9. お互いの言葉がよく聞こえる場所で話す。
認知症のひとはテレビや雑音が人の声と同じくらいの大きさのレベルで聞こえる(うまく人の声だけを拾えない)
10.本人が答えるための時間を作る、せかさない。
・・ついつい急いじゃってね。気をつけないと。
11.本人の目の前で第三者に介護の苦労は話さない。
会話の内容はわからなくても雰囲気は伝わる。
・・ということで、私には大変勉強になりました。
わかった、と、実際できる、の間には深くて広い溝がありますが
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。
(これは認知症でない人に対しても使えるコツだと思います。
だんだん年老いてきた親、とか、少しトロい仕事仲間、とか
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。)
で、いちばん「そうか!」、と思ったのは、
認知症の人は知識や知恵はなくなっていきますが、生き生きとした感情は残っています。
というところです。
お父さんがどういう最期を迎えるかわからない、発作で逝ってしまうかもしれないし、認知症になるかもしれないし、また入院するかもしれない。
でも、この11のコツは覚えておこうと思った。
結局問われるのは、看護する側の想像力と優しさ、心の余裕の持ち方で、これはかなりすごい修行だなあと思った。人間できてないひとには(~o~)。
だから、世にありふれた、
「親を家で介護した、見取った」
というなんでもないような主婦の人って、あっけらかんとしてるけどすごいなあ、と思った。
あれ、近頃の若いもんだったらすごい不幸自慢ストーリーにして吹聴すると思うけど
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、特に苦労を言い立てないところもえらい。かっこいい。
修行の成果か(~o~)。
まあひとこと「看護した」といってもピンからキリまであるとは思うけど。