お父さんの底力。

寅さんとか長島監督とかによく例えられるお父さん。ついに脳梗塞で倒れました。しかしマイペースさに変わりなし!

もうあんまり時間がないから。

2007-08-06 22:43:41 | Weblog
で、気がつくとお父さんは再来月にアメリカに行く計画をたてていた。
それも、たまたま話聞かなきゃ知らないところだった。
(以前はよく私の知らない間に外国に行って知らない間に帰ってきていた・・)

「ちょっとちょっと大丈夫なの~?」
すっかり心配性な私にお父さんはひとこと

「もう時間があんまり残ってないからなあ、はやくいかなきゃ。アメリカは行ったことないからなあ、一回は行っておきたいんだ。」

そう言われては、止められない。
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食べられる草木に異様に詳しいお父さん。

2007-08-04 15:10:25 | Weblog
先日薬草園に行ってきました。世界の薬草や毒草、食べられる草や実などが実際にみられておもしろかったです。
例の、お父さんの作ったジャスミンティーも有毒だったことが判明しました。
園の方によると、家に生えているつる性のジャスミンは、ジャスミンティーにつかうジャスミンとは違う有毒種だそうです。本物は木に咲く花で、匂いもあまりきつくなく、おだやかで上品な香りでした。

がぜん植物に興味を持った私は、家にある薬草百科、食べられる野草の本、植物辞典などをひっぱりだしてきました。
シイの実はおいしい、とか、もぐさはよもぎからつくる、とか、葛はほりだすのが大変、とか、山芋からむかごというのがとれる、とか、タンポポはコーヒーの味がする、とか、いろいろおもしろいことが書いてあって、
「へー。」
と感心していると、近くにいたお父さんはそのたびに
「あれはおいしいぞ。」とか
「おばあちゃんがよくやってた。」とか
「それほどうまくない。」とか、
「それはこれこれこうやって調理するんだ。」

異様に詳しいのです。カルチャースクールの講師くらいならできそう。


なんでも、戦争中だか戦後だかに田舎に疎開したとき、庭には食べられる草木ばかりを植え、裏山で食べられる草木を教わったり試したりして過ごしたそうです。
実体験は強い!戦後60年以上たっても覚えてるもんね。
お父さんはなつかしそうに、

「食べ物はなかったけれど、野山にあふれる自然の中で遊ぶのは、都会から来た子供には天国みたいだった、楽しくてなあ。」

と言っていた。
それにしても、話を聞くと、おばあちゃんやひいおばあちゃんも食べられたり利用したりできる植物に詳しくてごく自然に使っていたようで、こういう知恵が全然伝わらないで消滅いくのはもったいないなあと思いました。

お父さんが体力をとりもどして、涼しくなったら少し田舎を一緒に歩いてみようかなあと思いました。




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タチ悪い老人たち(^_^;)。

2007-08-04 01:19:49 | Weblog
阿久悠さんが亡くなりましたが、お父さんとその話をしていたら、
「最近の歌はお話にならん。なんだありゃ!」
と怒り出しました。

「だいたい皆同じ、ひとりごとみたいなもんだ、好きだよー抱きたいよーそんなのばっかり、ばかみたいだ。」
「そのうえメロディーもなってない、というより、最近は念仏となえてるみたいで(ラップのこと)ありゃー歌といえるのかねえ。」

昔の歌は直接的に言わなかった、あれがいいんだ。
情景を描写したりしてなあ、余韻があって。
今の歌はとにかく芸がない。

と、まあ、そういえばそうかな、といちおう一理ある歌批判まではよかったんですが、カラオケ(バー)好きなお父さんは、

「だから俺は、カラオケで若いもんがあの念仏ひとりごとの歌をうたいだすと仲間たちと
『あーやだやだ!あのくだらない歌なんか聞きたくもない!』と聞こえよがしに言って出てきてやることにしてるんだ。」
と。
なんか、タチ悪いなー。
いい年こいて大人げなさすぎ。
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認知症の家族に対する心構え

2007-08-02 10:46:04 | Weblog
で、その中に「認知症に対する看護」の章があって考えさせられた。

『できなくなった』ことより『まだできる』ことに注目しよう。

わかってるんだけど、ついイライラしてしまう。
こっちの心の余裕ってゆーか、器の大きさが問われますよね

あと、認知症の人とつきあうための11のコツというのが載っていた。

1.選択肢を用いた質問
「何飲みたい?」→「コーヒーとお茶、どっちを飲む?」

2.家族自身の感情を伝える。
用件だけ(「今日何食べる?」「洋服はここ」等)ではなく「花がきれいね。」とか。

3.会話のなかの間違いをひとつひとつ訂正せず、やんわり言い換える。
「雨が降ってきた。」
「そうね、雪が降ってきたみたいよ。」

4.やりとりのなかで、手がかりとなる品物や見本などを示す。そのものを忘れてしまっているかもしれないので、実際のものをみせる。

5.表情豊かに話す。
言葉がわからなくなっていても、ニュアンスで伝わりやすくなる。

6.一文は短く。

7.ひとつの文章にやって欲しいことはひとつだけ。

8.相手が家族の言葉を理解できていないようならば違う言葉に置き換えてみる。

「 ひとというものは不思議なもので、同じ言葉を繰り返しているとうんざりし、だんだん大きな声になっていくものです(←ほんとに!ココ、笑った)。
大きな声は怒っているように聞こえるので相手は萎縮し、余計に頭に言葉が入ってこなくなります。」

9. お互いの言葉がよく聞こえる場所で話す。

認知症のひとはテレビや雑音が人の声と同じくらいの大きさのレベルで聞こえる(うまく人の声だけを拾えない)

10.本人が答えるための時間を作る、せかさない。

・・ついつい急いじゃってね。気をつけないと。

11.本人の目の前で第三者に介護の苦労は話さない。

会話の内容はわからなくても雰囲気は伝わる。

・・ということで、私には大変勉強になりました。
わかった、と、実際できる、の間には深くて広い溝がありますが

(これは認知症でない人に対しても使えるコツだと思います。
だんだん年老いてきた親、とか、少しトロい仕事仲間、とか。)



で、いちばん「そうか!」、と思ったのは、

認知症の人は知識や知恵はなくなっていきますが、生き生きとした感情は残っています。
というところです。

お父さんがどういう最期を迎えるかわからない、発作で逝ってしまうかもしれないし、認知症になるかもしれないし、また入院するかもしれない。
でも、この11のコツは覚えておこうと思った。

結局問われるのは、看護する側の想像力と優しさ、心の余裕の持ち方で、これはかなりすごい修行だなあと思った。人間できてないひとには(~o~)。
だから、世にありふれた、
「親を家で介護した、見取った」
というなんでもないような主婦の人って、あっけらかんとしてるけどすごいなあ、と思った。
あれ、近頃の若いもんだったらすごい不幸自慢ストーリーにして吹聴すると思うけど、特に苦労を言い立てないところもえらい。かっこいい。
修行の成果か(~o~)。
まあひとこと「看護した」といってもピンからキリまであるとは思うけど。














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あなたの家族が病気になったときに読む本。

2007-08-01 10:26:32 | Weblog
というシリーズになっている本があります。(講談社)
私は最初「狭心症・心筋梗塞」を読んで「これはいい本だ!」と思い、続けて「脳卒中」「認知症」を読みました。
その病気についての症状から始まり、受診、検査の様子、薬について、症状の進み方、入院とオペ、生活の保障(保険の種類や相談窓口など)、看護の仕方、ターミナルケアまで、家族の立場に立って、とてもわかりやすく書いてあります。
こんな本が欲しかった!
家族が病気を抱えている人、必見!(回し者?
でも、ほんと、おすすめ。
他に「うつ病」と「肺がん」のシリーズがあるようです。
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