お父さんの底力。

寅さんとか長島監督とかによく例えられるお父さん。ついに脳梗塞で倒れました。しかしマイペースさに変わりなし!

サルと人間の関係。

2006-04-30 21:03:09 | Weblog
動物園にいったお父さん。猿山をみてつくづく感心してしまったそうです。

「人間もサルも同じだなあ~。ほとんど変わらんなあ。」

お父さんの教えていた高校の定時制は最後の砦のようなところがあって、他の学校を退学処分になった子とか、少年院帰りの子とかが最後に入学してくる学校でした。
そういう子たちにはいくら口で立派なことを言っても通用しない。
とにかく最初になめられないことが肝心、信頼関係とかはその後の後の話。
誰が力があるか、誰がボスにふさわしいか、ということを動物的本能で観察していて、その目はとても鋭い。
いざとなったらこいつは戦う度胸と力があるか、ということを品定めし、いったん自分より格下だと思ったら
「まず言うことなんか聞きゃしない。」
その順位のつけかたが猿山のサルと生徒とはそっくりだそうです。


先生の中には消しゴムやいろいろなものを投げつけられながら、ひたすら板書して帰って来る先生(罵詈雑言が耳にはいらないよう耳栓をして!)、理想を抱えて先生になったものの、ノイローゼになっていく辞めて行く先生など多々いたそう。

教育評論家が
「体罰はいけませんね、話し合えばわかります。理解が足りないのです。」
なんていうのを聞くたびにお父さんは、

「こいつらは現場を知らないな、少なくとも荒れた学校で教えたことがないんだな。」と言います。

「今の先生は大変だな、マスコミも親もみんな子供の味方を過剰にしてるからな。俺は今の時代だったら教師なんてできなかったな、すぐクビになってる。」

でもお父さんの懸念しているのは体罰にめくじらをたてるあまり、その教師全体の熱意や人格が無視されて一様に暴力教師のレッテルをはられてしまうこと。
結局残るのは毒にも薬にもならない、見て見ぬふりのサラリーマン教師だけが残ってしまうのではないか。
ということなのです。
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教え子の話(1) 結果オーライ?

2006-04-26 00:32:46 | Weblog
さて、お父さんの無神経話です。
ある年、突然登校をしてこなくなった生徒がいました。いくら調べてもいじめに合った様子もない、家に行っても絶対部屋から出てこない。今で言う登校拒否とかひきこもりですが、当時はそんな言葉もなければ社会も理解がない。
何度目かの家庭訪問でお父さんは
「これは何か精神的な問題があるのかもしれないから一回病院に連れていったほうがいいかもしれませんね。」
と、ご両親と話して帰ってきたそうだ。
すると次の日、烈火のように怒ったその生徒が職員室に飛び込んできて、
「先生、俺のことキ*ガイって言っただろう、俺はキ*ガイなんかじゃない!!取り消せー!!」
カンシャク持ちのお父さんも驚くほどの怒りよう。
しかしお父さんはそれを見て
「しめた!これだけ怒り狂えるエネルギーがあればこいつは立ち直れる。」
と思ったそうです。
それから、心療内科というところがあって(当時はそんなのもほとんど知られてなかった)、自分の友人でも何人かかかっているくらい普通のところであること、原因がわからず学校に行けないのであれば医者に診てもらうのも1つの方法だということ、などをコンコンと説明しているうちにだいぶ落ち着いてきたそうです。
でも、俺は医者になんかかからない、大丈夫だ。と言ってそれからは一日も休まず登校し、卒業していったそうです。
俺の一言がかえってよかったんだな、なんて言ってますが、
もし生徒がもう少し気が弱い子だったショックのあまりますますひどいことになったのかも知れず、お父さんにそういう生徒の微妙な性格の差がわかるとも思えず、これはたまたま結果オーライのケースなのでしょう。
でも考えて見れば、人生の上の重要な出来事は運に左右されることも多い。たまたまそうなった、ってだけで紙一重でどちらにもころぶ可能性があった・・という出来事はけっこうありますよね。
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東京タワーとオカンの死。

2006-04-23 00:45:39 | Weblog
リリーフランキーの「東京タワー」が大人気なので、私も本屋で立ち読みをしました。すると、オカンの亡くなる前の様子が自分の母親の時ととてもよく似ているので、つらくてドキドキしてきました。私にはあの本はとても読めません。
身近な人が亡くなる経験というのは、その人本人にとってはとても深くて悲しい、特別な体験ですが、ほとんどの人が経験していることでもあって共通なこと・・ありふれたことでもあるんだなあ・・と考えてみればあたりまえのことを実感しました。

お父さんはまるで無神経で人が傷つくような言葉は平気で言いますが、お母さんが病気になったときは連日連夜泊り込みで看病していました。私は目に見えて弱っていく、心を閉ざしていく母の様子をみるのがつらくて、ときどき病室に行けないことがありました。
父さんは無神経だからこそその分心も強い。だからお母さんのあんな様子にも心がくじけることなく現実的に面倒をみれた。と思います。
そして病人にとってはそのほうがめそめそされるよりよほどありがたいんですよね。
それまでは嫌いなだけだったお父さんをすごいなあ、やっぱ勝てんな、と思い出したのはそのときからでした。
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プロの技。

2006-04-22 23:52:43 | Weblog
お父さんは工業高校の教師だったため、左官屋さんや大工さんなど職人になった教え子も多いのです。子供の頃うちの実家を建て増ししたのですが教え子さんがやってくれました。壁を手際よく、きれいに平らに塗っていく左官屋さん。それはとても気持ちよさそうにみえました。しばらく一緒にみていたお父さんも、「俺にもやらせろ!」と塗りだしたのです。仕様がねえなあ、と教え子さんの苦笑いも尻目に「俺もなかなかうまいだろう。」と上機嫌。確かにしろうとにしてはまあまあの出来栄えだった。しかし!
半年もしないうちにお父さんの塗った部分だけ壁がボロボロ落ちてきたのだ!
さすがあいつはああ見えてもプロだなあ。
とお父さんは感心してつぶやき、
職人さんってかっこいいなあ、と
私は子供心に思ったものでした。
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