お父さんの底力。

寅さんとか長島監督とかによく例えられるお父さん。ついに脳梗塞で倒れました。しかしマイペースさに変わりなし!

お父さんとともになくなってしまったもの。

2020-05-10 17:58:23 | Weblog

お父さんが亡くなるのと前後して、ずーっとうちの近くにあった、お父さん行きつけの場所が

次々と閉鎖、閉店した。

お気に入りの古本屋さん。

英語教室に通っていた、老人会館。

たまにご馳走が食べたいとき、一緒によく食べに行ったチェーンのお寿司屋さん(ランチの幕内弁当がお気に入り!)。

常連さんだらけだった地元のスナック。

遠くに出かけられないようになってからは唯一の楽しみだった、コンビニまでがまさかの閉店!

お父さんとともにみんな逝ってしまったような気がする。

ただでさえ寂しいのに、思い出の場所までどんどんなくなってしまって、本当に心もとない

でも、その街の風景が、そのままあの世のお父さんの住んでいるところに移動してくれてたらいいなと思う。

そうしたらきっと大喜びするだろう。

回復したら行きたい!と言っていたところばかりだから。

「そうか、オレがもう行けなくなったから、そっちからきてくれたかー。」

と満面の笑顔で幕の内弁当を頬張り、酒を飲み、古本屋を物色して、下手な英語を披露して得意になっている。

「これがやりたかったんだ、ほんと、サイコーだな!」

そんなふうに楽しく暮らしていてくれたらいいな(妄想)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


野菜づくり再開。

2020-05-09 12:48:59 | Weblog

シャワーヘッドを買いに行った時目についたのが、いろいろな種を売っているコーナー。

お父さん、2年前ははりきって野菜つくってたなあ、と思い出して少し買ってきた。

バジルとしそとおくらの種。

 

お父さんは、少し元気な時は外で園芸に勤しんでいたが(といっても雑だけど)、

その後弱ってくると家のリビングを泥だらけにしながら色々な野菜の種をまいたり、

買ってきた野菜の根っこを植えたりして、それを窓際の椅子に腰掛けて眺めているのが何よりの楽しみ、みたいになっていた。

「野菜はかわいいなあ、冷たい子供たちよりよっぽどかわいいよ」

などと毒舌を吐いていたものだ

 

‥なんてことを思い出しながら、リビングに並んだ空になった植木鉢(私が枯らしちゃったから)を眺めていたら、

植木鉢の横に、お父さんが蒔き残した種の袋がみつかった。いんげんとラディッシュの種。

蒔き方がよくわからないけど、とりあえず自分の買ってきた種と一緒に蒔きました。雑。

生えてくるといいな


シャワーホースの思い出。

2020-05-09 12:22:56 | Weblog

シャワーのホースから水が漏れているのに気づいたのは数日前だった。

 

このホースは何年か前、やはり破れて水が出ていたのを、お父さんが治したものだ。

あのときも、業者に頼もうというと

「こんなのお父さんができる。こんな簡単な修理でも業者の頼むと高いこと言われるぞ!

お前はすぐ無駄遣いしようとする。だいたいお前は‥」

とえんえんと怒られ、じゃあ替えのホース買ってくるよ、というとそれも無駄だ、

と言われ、どこからかひっぱりだしてきた、長い硬いホースを取り付けて

「やっぱりお父さんがいるといいだろう。これでいくら浮いたか。ありがたいだろう。」

と得意になっていた、というシロモノだ。

ホースが長すぎるもんだから扱いにくい上に、硬いから思った方向に向かせにくくて、

ヒジョーに使いにくくなったが、そんな文句を言うとまたキレるので、まあ用は足りるのでハイハイありがとう、

と使っていたものだった。

お父さんが生きていた時は、

「早くこれも壊れないかな、そしたらこっそり業者に頼んで替えてもらおう。」

と思っていたが、いざ壊れると、ああお父さんの思い出の品がまたひとつなくなっていく、と

替えるのに気は進まない。

もう少しどうしようもなくなるまで待とうかな。

それと、調べてみると、業者はやっぱり結構お金がかかる。

「お父さんの言った通りだろう、お前はすぐ無駄遣い(以下同文)」←天の声。

自分で取り付けにチャレンジしようかな、と、とりあえずホースだけ買ってきた。

工具は(錆びたりボロいけど)山ほどうちにあるからね

 


かたづけられない。

2020-05-06 20:22:06 | Weblog

去年のGWはお父さんが入院していて、私は今のうちに!とはりきって家の整理をしていました。

お父さんが元気な時は、何か捨てようとするといちいち止められてけんかになったし、

病気なら病気で、世話をするのに忙しくて片付ける暇がなかった。

そしてお父さんが亡くなった今こそ、思う存分処分できるというのに、全然できない。

いろいろなお弁当やさんのパンフレットの束なんて、もう必要ないのに、

ああ、これは退院当初どこかいいところがないか必死になって探したときのやつだ、

なんて、当時のことをいろいろ思い出して捨てられない。

デイサービスの報告書の束も、もう必要ないのに、連絡欄のやりとりをみると、

ああ、そうそうあのときこんなことがあった、大変だった、

とかいろいろ思い出してこれも捨てられない。

ましてや、お父さんの使っていたものなんて、捨てられない。

服も本も、いろいろなガラクタさえ(いやガラクタはちょっと捨てたかな

最後に病院から引き取ってきたものの、そのまま袋に入ったまま置きっ放しだし

好きだったオロナミンCもお父さんのカバンから出せない。

いつまでこのままなんだ、早く片付けなきゃと思うけど、

片付けようとすると手が止まってしまう。

 

友達にその話をすると、彼は2年前に父親を亡くしたのに、やっぱりまだお父さんの物を整理できないという。

やっぱりそう?

でも個人差激しいみたいだ。

うちの兄弟は思い入れ全くないらしく、

「いつまでこのままにしてるのー?じゃまなんだけど。」

という感じだ

 


枯れてきてしまった植物たち(T_T)。

2020-05-03 16:47:39 | Weblog

お父さんは雑だったけど、植物を育てるの、意外とうまかったなあ‥。

と、つくづく思ったのは、窓際に置いた植物群に水をやろうとした時だった。

「‥むむ、枯れている(それか、しおれている)。」

それが何ヶ月か前で、それからなるべく忘れないようにして、水をあげているのだが、どんどん元気がなくなっていく。

春なのに‥。

 

あまり元気に外に出歩けなくなった頃、お父さんはまず外にいろいろな野菜を植え、外にもでるのが大変になったら、

今度は家の中でいろいろ育て始めた。

プチトマト、ネギ、小ねぎ(ネギは好きだったねえ)、とうがらし、みかんなど、食べた後タネがでるものいろいろ。

せっせと埋めては、育っていくのを見て喜んでいた。

リビング泥だらけだったけど

土なんか買わずに、うちの見るからに栄養がなさそうな土を使っていたけど、生ゴミとか卵のカラとか、マメに埋めていた。

中途半端に埋めるからコバエが出てたいへんだったけど

 

まあその甲斐あったのか、育たないのもあったけれど、結構勢いよく育った植物も多かった。

お母さんが生きている頃からずっと育てていたシャコバサボテンも、もう亡くなって30年近く経つのに、

葉っぱがペラペラになりながらも、毎年たくさんの花を咲かしてくれていた。

毎年、それをみながらお父さんと

「えらいなあ、ろくに手入れもしないのに、今年もこんなに咲いてくれて」

と感動していたものだった。

 

それが気がつくと、植物たち、ほとんど枯れている。

ずーっと頑張ってくれていたシャコバサボテンまで瀕死状態。

元気だった唐辛子も葉っぱの先が枯れかけていて、ろくに実ががなっていない。

お父さんとともに植物たちも旅立っていく。さびしい

‥というか、要するに私が下手なんだね、育てるの。

ごめんよ、植物たち

天国で、お父さんとお母さんの周りで咲き誇っておくれ