お父さんの底力。

寅さんとか長島監督とかによく例えられるお父さん。ついに脳梗塞で倒れました。しかしマイペースさに変わりなし!

精一杯がんばったお父さん。

2019-12-30 23:14:05 | Weblog

ちょうど仕事が終わったとき、病院から連絡があった。

「血圧が下がってもう30くらいになってしまった。」

慌てて病院に駆けつけると、救急のICUに移されていて、なぜか少し待たされて

案内されると、お父さんは血色のいい顔をして眠っているようだった。

手を握るとすごく暖かい。

でも

「もう脈はほとんどふれていません。」

と看護師さんに言われ、

「まだ生きているんですか?」

と聞くと

「いえ‥」

とのことだった。

こんなにまだ手が暖かいのに。

最近ないくらい、穏やかに眠っているようなのに。

 

ここ半月くらい、特にお父さんは大変そうだった。

ご飯が食べられなくなって、鼻から経管栄養。

呼吸も苦しそうで、一生懸命息を吸っているという感じだった。

肺やいろいろなところに水がたまっていると言うことで、喉が渇いても水は飲めない。

違和感でつい鼻に手が入ってしまうので、両手にミトン。片手拘束。

意識も朦朧としていて、たまに目を開けても、天井を凝視するか(台風の光景が見え続けている)、

私が行くと、ミトンを外してくれる看護師さんもいたが、両手はコップを持つ形になり、

何かをストローでのんでいるように口をすぼめてストローを吸うしぐさをする。

ちょっとくらい水をあげてもいいですか?と聞いても、先生に止められているので‥。

と何もしてあげられない。せいぜい口腔スプレーをかけたり(味がまずいらしくいやがった)

いい匂いのするリップクリームを塗る程度。

苦しんでいるのになにもできないのはもどかしく悲しかった。

見ているのがつらく、最後の半月くらいは病院に行くのも気が重かった。

「でもあのお父さんのことだから、今日は元気になってたりして」

とわずかに希望を抱いては病院に行き、帰りはどんよりとして帰ってくる毎日だった。

 

あんなに元気でわがままで、殺しても死にそうになかったお父さんが、亡くなってしまったのは

信じられない。

まだなにか現実感がないかんじだ。

 

だけど、最後の入院でお父さんはとてもがんばって耐えていた。

暴れる力もなかったかもしれないけど、大声をだすこともほとんどなく、ただ黙って耐えていた。

本当にえらかったなあと思う。

そして最後の1ヶ月、入院させてしまってすまなかったなあ、と考えてしまってしかたない。

あのまま、放っておいた方が、もっと楽に死ねたんじゃないかなあとずっと考えている。

ごめんね、お父さん。

 

でもなくなった姿を見たとき、悲しいしショックだったけれど、

久々に安らかに眠っている(ようにみえた)お父さんをみてどこかでほっとしていた。

もう苦しまなくていいんだ。

よくがんばったね。おとうさん。

本当に色々ありがとう。 

お父さんと一緒にすごせて、ムカつくことも多かったけど、愉快なことも多くて

楽しかったよ。

お父さんも、ほぼ自分のやりたいことを通した人生で(最後は苦しませてしまって申し訳ないけど)、

まあまあよかったよね

不満も多かったかもしれないけど、私MAXでフォローしたから、まあまあ、許してよ。

 

救急にかかって仕事に支障をきたすことが多かったから、

「もう付き合ってられない、こんなに急に休んでばっかりいたら仕事クビになるかも!

もう次は行かないからね!不可抗力ならともかく、自分で自業自得のことが多すぎる!

と怒っていたので、最後はねばって、私の仕事が終わるまで待っていてくれたのかな、

と思った。

がんばったね、お父さん。悪かったね。ありがとう。

天国でずーっと待っていたお母さん。

お父さんをよろしくね。