お父さんの底力。

寅さんとか長島監督とかによく例えられるお父さん。ついに脳梗塞で倒れました。しかしマイペースさに変わりなし!

今すぐ会いに行こう。行けるときにすぐ。

2024-03-29 22:37:59 | Weblog
先日、介護施設に入っている叔母を訪問してきた。
私が父の介護をしている時は、おばはまだ元気で、一人で出歩くことも運転することもできていた。
昔は叔母とたまにお散歩したり買い物したり、美味しいものを食べたりするのが楽しみだった。
私が父の介護でゆっくり会うこともできなくなったので、父が亡くなったらきっとまたおばと昔のように遊びに行こう、と思っていた。
それなのに、私は父が亡くなった後すぐ骨折して、1年以上ただリハビリに追われていた。
その間に、おばは腰を悪くし、膝を悪くし、気がつけば車椅子から立てなくなって、家を出て介護施設に入所してしまった。
今では、少し認知症も始まっていて、普通の会話をするのがだんだん難しくなってきている。
あれよあれよという間にここまできてしまった。
父が亡くなった時はまだしっかりしていたのに‥。
叔母はまだ70代半ばだ。まだ10年くらいは元気でいてくれると思っていたのに。

最近、本当に思う。
すぐ会わなきゃだめだ。いつどうなるかわからないから、と。
特に年上の人に対しては、そのうち、とか言ってちゃだめなのだ。
すぐ、行ける時すぐ会いに行かなきゃ!
そしてしゃべれるうちに、意思の疎通できるうちに、たくさんしゃべって、たくさん笑って、その時を楽しもう。楽しんでもらおう。
それも過ぎ去っちゃうけど、結局忘れられちゃうかもしれないけど。
おばさんは今のところ、本当に楽しかった思い出だけは覚えている。
私は、私のことを覚えているうちに、おばさんになるべく会いに行こうと思っている。

お父さんは晩年よく言っていた。
「なるべく楽しめよ!」
それは、お父さんの生き方でもあった。
楽しみ優先しすぎて、やらなきゃならないことはほったらかして逝ってしまったのはちょっとどうかと思うけど!
でも、最期は大変だったけど、全体的にお父さんの人生は愉快だったと思う。
本人的には。

老人がみんな、楽しそうに笑っていてくれたらいいなと思う。
そう思う自分の心が失われないといいなと思う。














お父さんの生まれたところに行ってきた。

2024-03-11 00:12:27 | Weblog
やる気がなくてぼーっとネットを見ていて、急に
「そうだ、お父さんの生まれた場所に行ってみよう」
と思った。
私が今住んでいるところから意外に近いのだ。
お父さんが生まれた時から中学くらいまで住んでいたところ。
(疎開で田舎に引っ越した。)

実はそこには昔お父さんと行ったことがある。
そのときも、休日の朝、天気が良くて暇な日だった。
お父さんの子供の時の話を聞いていて、急に
「思い出の旅(ってほどの距離じゃないけど)に行ってみない?」
ってことになって、二人で思い出の地を巡ったのだった。

お父さんはこういう時ノリがいい。決して断らない(⌒▽⌒)。
「俺に任せろ、ずっと住んでいたんだから」
と自信満々だったが、60年もたっているうえ、空襲でやられているので、とても迷った(⌒▽⌒)。
それでも歩いているうちに、焼け残った古い建物などをみつけてだんだん記憶が蘇ってきたのだ。幼馴染の家なんか見つけたりして(もうその時は亡くなってらしたが)。

今日その辺を歩いて、お父さんと歩いたことを思い出すと、やっぱり胸が痛く、気が遠くなるような気がした。
あれはいつのことだっただろう。10年くらい前?
私はその時のことを写真日記にしていた。
探し出してみてみたらなんと18年前!
なんて長い年月が流れたんだろう‥。私も年取るはずだよ!
写真のなかで胸を張っているお父さんをみると、懐かしくて。

そうか、もうそんなに時がたったのか。
人生は夢のようだ、ってよくお年寄りが言っているのを聞き流していたけど、ものすごく実感した。
帰りは魔がさして歩いて帰ろうとして、すごく迷った。
線路沿いに歩こうと思ったら、線路沿いに道がないし、くねくね曲がった挙句にいきどまりとか、あのへんほんとごちゃごちゃしてる!
疲れたよーお父さん(⌒▽⌒)。















お父さんをyoutuberにしたかった!(⌒▽⌒)

2023-09-29 08:50:56 | Weblog
最近YouTubeにハマっている。

あれ、やばいね。時間があると次から次に見ちゃう。
面白い動画とか可愛い動物動画なんか見た日にゃ、現実逃避?なのかな、ずっとみてしまう(⌒▽⌒)。
結構好きなのが、
「古民家をリフォームしました」「身一つでキャンプしてみた」
とか、作った系、ワイルド系の動画。

‥そして、それを見ているうちに思った。
「お父さんが元気だったら、絶対youtubeのいい題材になったのに!」
惜しい人をなくしました(⌒▽⌒)。
題材には事欠かない。

「林の中に家たててみた」
「80歳過ぎても鉄骨をひとりで運ぶ方法」
「天気が良かったので、サンルームを増築してみた」
「家を建てるのに安く材料を集める方法」
「俺流水洗トイレの作り方」
「悪いこと言わん、浴槽は集めとけ」
「窓枠が平行四辺形に」
「食べられる鳥、食べられる草シリーズ」‥

ああ、どんどん絵が浮かぶ(⌒▽⌒)。
本当に残念!
平凡な私は動画に出せるようなものは何もないけど、お父さんはネタの宝庫だった。








仲良しのおじいさんたち。

2023-05-26 00:27:16 | Weblog
爽やかな天気に誘われて、近所のバラ園にお散歩に行った。
やや盛りは過ぎて、でも十分綺麗。
ベンチに腰掛けてのんびりする。
通り過ぎていく人のほとんどはおばさんかお婆さんの2、3人連れ。ひっきりなしにしゃべっている(⌒▽⌒)。
たまに定年退職後と思われるご夫婦連れ。こちらはあまりしゃべっていない。
あとは老若(若はあんまりいない)男女、いろいろな年代の一人で来ている人(私も)。

しかし、女の人っていうのはあんまり変わらないなあ。
友達同士でいろんなところに出かけて、景色を見ているようで、いや見てるんだけど、実は喋るほうが主だったりする。話の内容も若い時とほとんど変わらない(⌒▽⌒)。
面白かったこと、怒ったこと、身近なこと、身近な人の話題。

それに比べておじさん、おじいさん同士はほとんどいないなー。
と思った矢先、目の前のベンチに二人連れの80代くらいのお爺さんたちが座った。
すごいしゃべってる(⌒▽⌒)。
戦争のときの話(!)、孫と気が合わないって話、同期の友達の動向、気の向くままに喋ってる。
「あー、なんか疲れたなー、もうこの後適当に食ってまたカラオケ行くか!」
「そーだな、それもいいな!行こう行こう」

微笑ましい(⌒▽⌒)。
何かこういう感じ、懐かしい。

お父さんはお爺さん同士の友達が多いタイプで、いつもワイワイ楽しそうにやっていた。
友達同士で畑作ってみたり、浮世絵のエロ本?鑑賞会やってみたり(←後から友達の人が口を滑らした)、飲み会も食事会も大好き。
中学生がそのまま大きくなってもりあがってるみたいなところもあった(⌒▽⌒)。

しみじみ懐かしくなってしまって、どうかそのまま仲良し同士で長生きしてねー、と祈るような気持ちになった(⌒▽⌒)。

人はいつどうなるかわからない、と年々感じるようになってきた。
思いがけないことで、当たり前と思っていた日常が強制的に途切れることがある。
だからこそ、毎日を大切に大事に生きよう。
マンネリ、なんて傲慢にも言ってても、今日と同じ明日が続くとは限らないんだから。
失う時初めてもったいないことしたなーって思わないように、毎日をありがたく生きよう。
なんて、あらためて思ってしまった。

けど、実際うちに帰ると無駄だらけの時間の使い方!
ネットで終わったりして。
あーもったいない(⌒▽⌒)。

























孤独を感じるとき。

2023-04-23 16:06:13 | Weblog
友達に遊びにこない?とメールをだした。返事がこない。
別の友達にメールをだした。返事がこない。
他の友達にもメールした。やっぱり返事がこない。
さびしい!(T_T) 

どーせ私のことなんて、誰も気にしてないんだ!
無視された存在。
くだらない、いてもいなくてもどうでもいい人なんだ!!
そーかそーか、そんなに軽んじてるのか。

‥と、どんどん悲壮感がただよっていく(^▽^;)。

‥でも、よく考えてみると、前からけっこうみんないいかげんだった。
忘れた頃に返事くる、とか、忘れた頃に忙しかった、と言ってくる、とか。

でもこっちもあんまり気にしていなかった。
なぜかというと、やっぱりお父さんがいたからだと思う。
友達がつかまらないときは、お父さんを誘えばたいていほいほい乗ってきたし、うちに帰ればよくしゃべってたし(噛み合わないとこも多々あったけど)、お父さん自身もあちこち行きたがるたちで、とにかくフットワークは軽かった。
お父さんが田舎に帰っている時は、私も天気がいい時はふらっと遊びに行ったりして、あまり孤独を感じる暇はなかったように思う。
お父さんがいたおかげで、くよくよ悩みがちで消極的な私も、楽しい時を過ごせたと思う。

亡くなってから3年あまり、しみじみお父さんは面白い人だったなあと思う。
確かに子育てには問題あったと思うけど、
とにかく私のことを本当に心から気にかけてくれた唯一の人だったなあ(お母さん除く)としみじみ思う。
親ってありがたい。
こっちがそんなに魅力的でもなくて、しようもない子だったとしても、一生懸命子供のことを思っている。子供が幸せに笑っていることを願っている。


私はお父さんの介護を、「大変だった」とか災難みたいに言いたくない気持ちはすごくある。
兄が遺産を好きなように使いたがって、
「俺が一人で苦労して管理してるんだ、お前はのうのうとしてるだけだろ」
「いいなー、その家一番価値あるんだぞ、訴えてもいいんだぞ」
なんて心無い言葉投げつけても、絶対に
「私はひとりで必死に介護した!」
と、お父さんを厄介者だったみたいに言いたくない。

そして私は弟を残して家を出た。
もうなんか、兄や弟の態度に疲れた。

お父さーん。
私、お父さんみたいに(ほど我儘じゃなくていいんだけど)唯我独尊の強い人になりたい!
そして、貧乏でもあるもので珍発明しながら愉快に生きていきたい!(⌒▽⌒)


































里芋の思い出。

2023-01-03 23:03:02 | Weblog
お父さんは里芋を見ると、とりあえず皮ごと煮て、皮を剥きながら塩をかけて食べるのが好きだった。
この間、豚汁を作ろうと思って安い里芋を買ってきたんだけど、ひとつひとつが小さくて、むくのが大変そうだった。
そこで思い出したのがお父さん方式。
適当に洗ってから煮る。粗熱が取れてから皮を剥くとスルッと剥けるし、かゆくならないし。これは楽でいいねえ。
里芋むくの大変だから、これからはこうして下ごしらえしようかな。
お父さんを思い出して、少し残して、そのまま塩をかけて食べてみた。

「お父さん、また里芋煮ちゃってー!こっちにもおかずの計画あるのに!」
とザルに山盛りの芋を見てキーってなってたな、となつかしくなった。

いろいろむかついてた思い出も、今となっては懐かしさとか愛おしさしか残らない。
かといって、あの頃にかえったら、やっぱり怒るんだろうけど(⌒▽⌒)。

おなじような日常が毎日続くと思うからこそ、ささいなことでムカついたり、仲良くできなかったり、うまくいかないことをそのまま先送りしてたりする。
人が死んでいくのは悲しいつらいことだけど、もし永遠に生きられることになったら、嫌いな人はずーっと許せなかったり、憎んだままだったりするのかもしれない。
どんな人でもやがて死ぬ、と思うとなんか小さいことにこだわって争っているのは時間の無駄、もったいない、と思う。

平野レミさんにしんみりさせられた(⌒▽⌒)。

2022-07-01 07:07:43 | Weblog
この間の「激レアさんを連れてきた。」で、ゲストの平野レミさんのエピソードを、お嫁さんが語っていた。
「昔の日記を読んでいて、おとうさん(旦那さん、和田誠さん)の言ったジョークとか読むと、今初めて聞いたみたいに大笑いするんです。きれいな月とかみると
『ああ、おとうさんがいたらきっとあの月を描くだろうな』とか、いつもおとうさんのフィルターを通してものを見ている。こんなに変わらない想いってあるんだなって。ぜんぜん風化していかないんです」

本当に平野レミさんはだんなさんのことが好きだったんだと思う。純粋な人だと思った。和田さんもとても温かみのある素敵な人だったんだろう😊。

私は、お父さんの亡くなった時は悲しくてつらくて胸が痛かったけど‥あれから2年半、もうだいぶ風化している(^▽^;)。

強烈なキャラクターだし、面白い変なエピソードもたくさんあったのに、なんだかだんだんぼんやりしていってしまうのが悲しい。情けない気がする。
お父さんのいないのにもすっかり慣れてしまった。
そのいっぽうで、なんだか足元のおぼつかないような、これからどうやって生きていけばわからないような、ぼーっとした感じでこの2年半過ごしてきたような気もする。

和田さんはどうやって亡くなったのか知らないけど、レミさんのいいところは、死ぬ間際の和田さんではなくて、元気だった頃の和田さんが心に住んでいるところだ。
私は、お父さんが亡くなる前の数年間を思い出しがちで、思い出すと当時の苦しさが心によぎって苦しくなってしまう。その記憶の方が鮮明で、元気だった頃のお父さんはその向こうに霞んでしまっている感じなのだ。
忘れていく、というのはその辛さから逃れるための防衛本能みたいなものかもしれない。

私もたまに昔の日記を読んで、こんなことあったなー、とか思い出すことがある。
どちらかというと、ムカつくことを書きなぐっていたので、あらためてムカつくことも多い。でもたまに面白い話も書いてあって笑う。
こんなに忘れるんだったらもっとおもしろ話をいろいろ書いておけばよかった。
悲しい思い出を吹き飛ばすくらいに。

まー、このブログは書いていてよかった。
たまーに読み直して、昔のお父さんを思い出して、ちょっと愉快な気持ちになるから(⌒▽⌒)。

なつかしの銀行カレンダー。

2022-01-25 22:08:33 | Weblog
銀行関係の友達に、カレンダーをもらった。
上半分が印象派の名画で、下半分が一年分のカレンダーになっている、例のやつ。

お父さんが元気な頃は、年末になると張り切って銀行のカレンダーを何枚ももらってきたものだった。
毎年リビングに1枚は貼って、自分の予定のある日には丸をつけ、日付の下に「ダンス」とか「那須旅行」とか「〇〇さん」とか書いていたものだった。
予定書き込めるやつ買ってこようか、というといつも
「いや、これでいい!買うなんて勿体無い!それに、一年分みれるのがいいんだ」
と言っていた。

その後自由に出歩けなくなると、デイサービスでくれる月めくりのカレンダーに変わった。
各日付の下に余白があって、血圧とか体温とかが毎日書き込めるタイプのやつ。
(便利だったし結構可愛かったけどね)
それを3年ほど使った。

父が亡くなってから2年間は、どこかのお店でもらった月めくりの縦長のカレンダーとかをてきとーに貼っていた。ろくに見もしないうちにあっという間に一年は終わっていった。

そして今年もらったカレンダー。
ああ、なつかしい!!(T_T)
絵も昔と同じ気がする。
張り切って丸をつけていたお父さんを急に思い出した。
何もかも、夢のような気がした。













涙を流すクリスマスツリー。

2021-12-14 22:38:39 | Weblog
父が亡くなった日、私は病院へと急いでいた。
ホームから改札に降りるエレベーターを待っている間、はやくはやく、とものすごく焦りながら、目の前にみえるクリスマスツリーを見ていた。
駅前にはえている大きなけやきの木。
その木にイルミネーションが点灯していた。
白とブルーの静かな色。
涙が流れ落ちるように、水滴型の光が木の上から下へと流れていくデザイン。
その年初めて飾られたイルミネーションだった。

そのクリスマスツリーが今年も静かに点灯している。
毎日、仕事帰りにその木を見るたびに、あの時の気持ちを思い出す。



2回目の命日で考えたこと。

2021-12-09 20:21:03 | Weblog
早いな、もうお父さんが亡くなってから2年。
本当にあっという間‥のようでもあるし、介護していたのがずうっと昔のような気もする。

寒くなって、仕事帰りに地元の飲み屋の温かい灯りが目に入るたびに、お父さんとご飯を食べたことを思い出す。
仕事帰りに、ご飯作るのがめんどくさくてお父さんに電話すると、たいてい行きつけの飲み屋で早くもイッパイやっている。
ほろ酔い加減のお父さんと駅の近くのチェーンのコーヒー屋で待ち合わせて、近所の回転寿司で食べるのが楽しみだった。

お父さんは飲み歩いているせいで、街のお店にも詳しく
「たまには他のとこに行かんか?」
と誘うので、何回か他のところにも行ったけど、やっぱり私の一押しは回転寿司だった。
気楽だし、おさいふにも優しいし、結構おいしい!なにもかもちょうどいい!
本当に地元にある回転寿司が好き〜(>▽<)。
お父さんと二人、おいしいおいしい、と言って食べていた頃を思い出すと、いてもたってもいられないほどさびしく悲しくなることがある。
でも、去年よりはましかなあ。

お父さんは
「1年くらいたったら、お別れの会をしてくれ。それくらいたてば笑ってオレの思い出話できるだろう」
とかねがね言っていたが、コロナや何かでうやむやになってしまい、結局何もしていない。
お父さんはよく
「お葬式やお墓なんてもんは、生きている人のためのもんだ。
死んじまったらおしめえよ」
と言っていたけど、本当にそうだなと思う。
式をしないと、心のけじめがつけられないってことはあるかもしれない。