内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

春のけしきのもののあはれ、あるいは「心浮き立たせる」無常について

2018-04-28 17:28:54 | 随想

 色とりどりに咲き匂う花々に囲まれると、人は自ずと微笑み、浮き立つような気持ちになるものなのであろうか。
 昨日、ブリュッセルにあるラーケン王宮温室内の花尽くしとその巨大な建物の周りの広大な庭に咲き乱れる花々を観ながら、それらを愛でる人たちの多くもまた花咲くように笑い交わしながら庭園と温室を巡るのを見ていてそんなことを思った。
 と同時に、『徒然草』第十九段の一節を思い出した。この段は、四季の移り変わりを主題としている。そのはじめの方に「もののあはれ」という言葉が用いられている。

「物のあはれは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今ひときは心も浮きたつ物は、春のけしきにこそあめれ。(岩波新日本古典文学大系39『方丈記 徒然草』)

 この後、その春のけしきの例がいくつか挙げられていくのだが、それらの例からして、「心も浮きたつ物」という表現における「心浮きたつ」は、現代日本語でのこの表現の語感とは異なっていることがわかる。あるいは、兼好独自の鋭敏な感性がそこに込められていると見るべきなのかも知れない。
 新日本古典文学大系本の久保田淳による脚注には、「そわそわして心も落ち着かなくなるものは」と意を通し、「一種の不安感を伴っており、陽気に浮かれるという現代語の語感とはいささか異なるか」と注している。確かに、そう読んでこそ、この文の冒頭の「もののあはれ」とも照応する。
 『古典基礎語辞典』(角川学芸出版)の「浮く」の項を見てみよう。
 「物が、地表や底から離れて空中や水面に漂う意。[中略]ウクは不安定な状態をいうので、人事については、身が定まらないこと、不安であること、話が不確かであること、態度が浮ついていることなどをいったが、心のあり方については、中世以降、ウクが浮き立つ意をもつに至り、ウカル(浮かる)に近づき、陽気な状態にある意を表すようになった。」
 心「浮き立つ」状態は、本来、けっして陽性の気分一色ではなかったわけである。むしろ、心が一所に落ち着かず、地に足がちゃんと着いていないような、いつもそわそわした状態のことであり、そのような状態にあってこそ、秋に感じられる深沈とした淋しみにおいてよりも、「もののあはれ」はより深く心に感じられる。そう兼好は言いたかったのではないであろうか。











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