フランスへの帰国が迫るといつも悩まされることがある。持ち帰る書籍の選択と量である。以前は、上限23キロのスーツケース二つにぎりぎり一杯本を詰め込んで帰ったものだが、今はもうそんな体力はない。スーツケース一つ、それも20キロ前後がせいぜいで、それ以上の重量はしんどい。だから持って帰る本の量を抑えなくてはならない。なのに、誘惑に負けてついつい買ってしまう。結果、その全部を持って帰ることはできなくなり、選択に数日頭を悩ませる。苦渋の選択を強いられる。それでもスーツケースにはとても全部入らない。仕方なく、EMSで別に送ることになる。その度に思う。なんで本ってこんなに重いのだろうと。
特に辞書は重い。にもかかわらず、小型国語辞典を三冊買ってしまった。辞書マニアではないが、辞書を読むのは好きだ。今回の一時帰国中に、佐々木健一氏の『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』(文春文庫、2016年)とサンキュー・タツオ氏の『国語辞典の遊び方』(角川ソフィア文庫、2016年)を読んだ。そうしたら、どうしても『三省堂国語辞典』(第八版、2021年)と『明鏡国語辞典』(第三版、2020年)とが欲しくなってしまった。井上ひさしが愛用していたという大野晋・田中章夫編『角川必携国語辞典』(1995年)も買ってしまった。幸いなことに、『新明解国語辞典』(第八版、2020年)はすでに持っている。
今年五月からの岩波文庫の新刊には哲学の分野で重厚な出版が続いた。これはもう買わないわけにはいかない。三木清『構想力の論理 第一』(五月)、同『構想力の論理 第二』(七月)、トマス・アクィナス『精選 神学大全1 徳論』(七月)、パスカル『小品と手紙』(八月)。三木の未完の大著がこうして入手しやすくなったことで、そこからさまざまなインスピレーションを得る読者も増えるだろう。中世哲学の研究者以外には名のみ知られるだけで、ほとんど読まれることのなかったトマス・アクィナスの『神学大全』が文庫という形で入手しやすくなったことは画期的なことだ。パスカルの『小品と手紙』も高価な全集でしか読めなかった作品群がひとまとめにされており、『パンセ』と密接に関連する遺稿群と手紙へのアクセスが格段に容易になったことは誠に慶賀すべきことだ。
この他にも、かねてより入手したかった本を三十冊ほど購入し、持ち帰る。
というわけで、なんだかんだいって、ホクホク顔で帰国するのである。
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