内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ドヴォルザーク『チェコ組曲』―『のだめカンタービレ』のおかげ発見できた郷愁誘う管弦楽の佳曲

2023-03-25 20:04:42 | 私の好きな曲

 この六日間、いくら大事な事柄とはいえ、根を詰める話が続いたので、今週末は「私の好きな曲」というカテゴリーに当てはまる、少し緩やかな話をさせていただきたいと思います。正直に申し上げますと、今回のお題、自分で勝手に始めておきながら、書いていてちょっとしんどかったのです(でも、まだまだ続けますよ、ほそぼそと)。
 半世紀に亘って(っていうと、なにか凄そうですけど、実のところは、五十年間にも亘って性懲りもなくだらだらと、というほどの意味です)、クラシックについて、というか、音楽全般について、下手の横好き程度付き合い方をしてきました。
 ですから、クラシックについて傾けるような蘊蓄はなく、日頃傾けているのは只管酒盃(「しかんしゅはい」と訓む)であります。
 テレビドラマでクラシック音楽が使われていれば、名うてのクラオタの方たちは、即、その曲を特定できるのでしょう。私にはそのような該博な知識はないので、「いい曲だなあ。誰の何という曲なのだろう」と気になることが一再ならず過去にありました。
 その中でも特に印象に残っているのが、テレビドラマ化された『のだめカンタービレ』の第一話の冒頭にプラハの風景とともに流された管弦楽曲でした。私にとって未知の曲でした。シーンの情景からしてドヴォルザークかスメタナの曲であろうとはすぐに見当がつきましたが、当該の曲がドヴォルザークの『チェコ組曲』であると特定するのには少し時間がかかりました。
 特定できてすぐにCD(プラハ室内管弦楽団、Supraphon, 1977年)を注文し、繰り返し聴きました。しみじみといい曲だと思いました。ドヴォルザークには『弦楽セレナーデ』という押しも押されもせぬ名曲がありますが、『チェコ組曲』は、その妹分というか弟分というか、確かに質的に落ちるところはあるのですが、その地味さがいいなあというか……。
 今日、この記事を書くためにあらためてこの曲を聴きましたが、はじめて聴いたときのことを想い出して、ちょっとほろっとしてしまった年寄りなのでありました。

 爺ちゃん、なんなん、こんなクソつまらない記事、ブログとして書く意味あるん? ― もちろん、あるわけなかろう。でもなぁ、誰に迷惑かけてるわけでもなし、これくらい許してくれんかのう ― どーでもええけど、あんまり長生きせんといてや。それ、老害やし ― おまえに言われんでもわかっておるわ。自分の始末は自分でつけるさ ― ほな、よろしく~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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静かなフェイドアウト (mituki)
2023-03-26 14:59:24
今回の主題はクラシック音楽(チェコ組曲)だと思いますが、弦楽器による室内楽やバッハの無伴奏が好きというレベルで、クラシックには詳しくありませんので、前半部分へのコメントは差し控えさせていただき、後半の「爺ちゃん〜〜」の部分について、少しだけ・・・
「自分の始末は自分でつけるさ」のところで、「老兵はただ消え去るのみ」という
亡くなった母の口癖を思い出しました。
有名なダグラス・マッカーサー氏の言葉で、内容に母の記憶違いもあるようですが、意味するところはほぼ同じかと思います・・
専業主婦だった母が、なぜそのような言葉を懐に抱えていたのか、もはや知る由はありませんが、歳を重ねるにつれ、自分のなかで、この言葉が重みを増していると感じます。
「引き際」というより、静かなフェイドアウト、といえば良いでしょうか・・・
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消えるに消えられず (kmomoji1010)
2023-03-26 23:01:50
コメントありがとうございます。「人生百年」とかまことしやかに語られるようになって、喜ぶどころか、そんなに長くどうやって生きたらいいのかとむしろ不安がつのり、今後ますます人生の終わり方が難しくなっていくという予感がいたしております。
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