昨日の記事で引用した和辻哲郎と谷崎潤一郎の対談「春宵対談」の箇所のすぐあとに、もう一つ興味を惹かれた一節があった。
和辻 それで思い出したが、何時か機会があったら聞いてみようと思っていたことがあるのだ。鵠沼の東屋に君が来ていた時、ぶらっと訪ねて行ったら、部屋に英訳のプラトン全集が置いてあった。こんなものをどうするんだときくと、僕だって読むよと君が云った。僕はそれを真に受けなかったんだが、しかしどうしてあんなものを置いているのかと不思議に思った。それは大正五、六年頃だね。それから何年か経って、君がしきりに映画にこっていた時分、映画の女優の亭主よりその女優を幕の上だけで愛しているファンの方が、その女優を一層真実に占領しているという意味の小説〔「青塚氏の話」1926年〕を書いた。(笑)
谷崎 覚えていないよ。
和辻 幕の上で見るだけだが、しかしその女の肉体を隅から隅までしっていると云う。(笑)
谷崎 自分の旧悪をあばかれるのは嫌だよ。(笑)
和辻 覚えているはずだよ。
谷崎 思い出した。(笑)
和辻 亭主は一所に住んでいるのだが、ファンの方は幕の上で見るだけで直接女優に会ったことがない。しかし亭主よりも一層よく女優の肉体を知っている。そのことが段々亭主に解って来ると、自分よりもファンの方が確実に女房を把握している事に気付いてくる。そういうテーマだった。それを読んで、ははア、此処にプラトンが響いているなと思った。(笑)
谷崎 思い出した。(笑)
和辻 プラトンのイデアの考え方をこういう風にコンクリートにしたのは面白いと思った。そういう事はないかね。
谷崎 そういう事がちょっとあった。そんな話は止めよう、きまりが悪い。(笑)
和辻 そうだとすると確かにあの時プラトンを読んでいたんだね。その掴み方は我々の仲間よりもしっかりしていると思った。
両者に笑いが絶えないところからみて、和辻は谷崎を半分からかうような調子でこの話を持ち出したのだろうし、それに応える谷崎も半分空とぼけているようなところもあるから、この話全体をどこまで真に受けていいのか計りかねるところもあるが、谷崎がプラトンを若き日に読んでいたというのはちょっと驚きだし、プラトンのイデア論にちょっとでもインスパイアされた作品を書いていたというのも面白い。それに、およそ哲学的でない小説作品の具体的描写のなかに哲学の反響を読み取る和辻の読み方も興味深い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます