内的自己対話-川の畔のささめごと

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万葉歌の「思ひ遣る」は「憂いを晴らす」の意 ― 言葉の散歩道

2020-02-21 23:59:59 | 言葉の散歩道

 後期担当している近現代文学の講義で基礎テキストにしている『新日本文学史』(文英堂)の購入を希望する学生たちのために発注をかけたとき、自分用に二冊の学習古語辞典を併せて購入した。『ベネッセ全訳古語辞典 改訂版』(2007年)と『旺文社全訳古語辞典 第五版』(2018年)である。前者は特に古文入門から大学入試まで学習者を導くさまざまな工夫が随所に見られ感心しながら読んでいる。後者は前者に比べると地味な構成だが最近改訂されたものであり古語・古典の知識を深める囲み記事も充実している。
 今日はベネッセの方を読んでいた。「おもひやる【思ひ遣る】」の項に目が止まった。「空間的に離れた場所に気持ちを移す」という全体イメージがまず掲げられ、その下に「①憂いを晴らす。②思いをはせる。③想像する。④心配りする」の四つの語義が示されている。活用表の後にそれぞれの語義の語釈と用例とその全訳が示されているのは型どおりだが、その後に「発展 現代語とのつながり」という項があり、そこに「上代からあることばだが、中古では②の思いをはせる意味が圧倒的に多い。②~④の「やる」は、「思い」を「遠くまで行かせる」意味であるが、①の「やる」は「思い」を「晴らす」意味で用いられている。なお、現代語には、④の心配りする意味だけが残っている」とある。
 この①の「胸につかえていることを遠くへはらいのける、気を晴らす」(『古典基礎語辞典』)意味の万葉歌としてベネッセ版も旺文社版も巻第十三・三二六一を挙げている。

思ひやる術の方便も今はなし君に逢はずて年の経ゆけば

 ベネッセ版はこのような表記になっているのだが、ちょっと解せない。原文には「術」も「方便」も使われておらず、参照した万葉集のどの版でもどちらの語もひらがな表記になっている。ベネッセ版にはわざわざ「すべ」「たづき」と訓みを少活字で漢字の下に組み入れてあるが、こんな手の混んだことをする必要があるのだろうか。素直にひらがな表記にすべきだったのではないか。
 「たづき【方便】」の項を見てみた。そこにも万葉歌が二首(巻第四・六六五と巻第二十・四三八四)用例に挙げられているが、いずれにも「方便」をあてている。しかし、原文はそれぞれ「田付」「他都枳」となっており漢語「方便」をあてる理由は特にない。「すべ【術】」の項にも万葉歌(巻第二・二〇七)が挙げられていてやはり漢字表記だ。原文は万葉仮名二字「為便」の表音表記になっているからやはり「術」をあてる積極的な理由はない。
 とても優れた学習辞典だと思うけれど、この「こだわり」はどこから来ているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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