内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

雨中、オルタンシアの華影、そして紫陽花幻想

2013-06-21 21:00:00 | 随想

 今朝も目覚めると雨。日本の梅雨を思わせる、しとしと降る雨。その雨の中、今朝も昨日と同じプールへ。天気が悪かろうが10人程度の常連達は7時前には門扉前に並ぶ。私もその1人。夏が近づくと、利用者は自ずと増える。年間を通じての常連である私などには、それは少しも嬉しくない。しかし、日本と違うのは、少なくともパリでは、真夏、つまりヴァカンス中は、プールも空いているのである。プールだけでなく、普段の生活圏からヴァカンスでパリジャンたちがいなくなり、街がとても静かになる。だから私は8月のパリが好きだ。

 梅雨には紫陽花がよく似合う。フランスに植生する同種はオルタンシア(hortensia)、辞書には「セイヨウアジサイ」とある。花柄は日本の紫陽花より一回りも二回りも大きく、色も多彩。白は清楚、青は瑞々しく、薄紫は気品がある。濃い紫や紅色は特に目を引くが、私にはときに毒々しくさえ見える。ブルターニュ地方では、戸建の家を囲むように植え込まれているのをいたるところで見かける。満開時は豪華なドレスのように艶やか。ただ、花柄が大きいだけに、枯れ始めると途端に醜くなる。手入れの行き届いた庭では、枯れた花はすぐに取り除かれるから気づかないが、そのまま枯れるに任せてあるのを見ると、痛ましく、目を背けたくなる。窓外で強まる雨脚の音を聞きながら、今はない日本の旧宅の庭、他の草木の間で、ひっそりと雨に濡れていた薄青紫の紫陽花が幻のように脳裏に浮かぶ。

 こちらの学年度では今が年度末。毎年この時期になると、奨学金の申請、来年度からの他大学への進級、内部での修士2年への進級を希望する学生などから、推薦状の依頼がよく来る。今日も一通書いた。これら推薦状は、学科責任者として当然引き受けるべき責務なので、原則として断らない。今まで何通書いたか数えたことはないが、断ったのは一度だけ。その学生の頼み方があまりにも無礼だったので、「君のその頼み方そのものが、君が推薦には値しない学生であることの証だ」ときっぱりと断った。引き受けた中にも、成績からして推薦に値するかどうかきわどい場合もあり、そういう場合は、やはりどちらかというと形式的でありきたりな文面になってしまいがちだが、そうでなければ、一人一人、それぞれの学生の個性を考えながら、文面を工夫する。結果、大体みんな喜んでくれる。
 以前、英語の推薦状を依頼してきた学生がいて、この学生は私がこれまで教えたことがある学生の中で最優秀の一人で、しかも人柄も折り紙つきだったので、喜んで引き受けた。しかし、私の英語力ではありきたりの文面にしかならないので、仏語で書いた推薦状をイギリス人の同僚に英訳してもらったことがある。気持よく引き受けてくれたその同僚から、「こんな長くて凝った推薦状なんて見たことない。訳すのに苦労したわよ」と訳を渡されるときに言われてしまった。学生本人はその時日本に留学中で、日本から直接ニュージーランドの大学院に進学したくて私にメールで推薦状を頼んできた。だからこちらからも仏語版と正式書類として提出される英訳をスキャンして、PDF版で送った。文面にいたく感激したその学生は、推薦状の仏語版オリジナルを記念にとっておきたいから、在学中の弟に託してくれと頼んできたので、署名して渡した。
 推薦状について、私はこう考えている。それは、ただ褒めるだけのものではない。書き手の権威や社会的地位だけがものをいうのでもない。すでに他の証書によって認められている能力を追認するだけのものでもない。その学生の個性を捉え、本人がそれとしてまだよく自覚しているとはかぎらない潜在的能力をもはっきりと書き記すことによって、推薦者が、その学生にそうなってほしい、そして、そう成りうるのだから成るだろう、との願いと期待を込めて書くものだ。推薦した学生からの合格の吉報はもちろん嬉しい。でも、これまで貰って一番嬉しかった礼状は、日本語で、こう結ばれていた。
 「いただいた推薦状の内容に相応しい人間に成れるよう、これからなお一層精進します。」


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