内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

花摘む乙女の呼び鈴 ― たまゆらの記(一)

2014-12-23 23:29:30 | 随想

 八四才の誕生日を迎える今月まで、癌に侵されていることを知りつつ、可能なかぎり自宅で自律した一人暮らしを続けていたその人は、今月初めより、自律歩行が困難になり、自宅での在宅医療・看護を受けるようになった。それ以来、その娘は泊まり込み、付きっきりで世話をした。海外で暮らすその息子は、十七日に帰国して、枕辺に駆けつけた。息子の帰国までは何としても生き延びようとしていたその人は、息子の手を取って再会を喜んだ。
 息子の帰国の翌日、その人は、娘と息子に、その家に百年伝わる真鍮製の花摘む乙女の形をした呼び鈴を探し出して枕元に持って来てくれるよう頼んだ。寝たきりの自分が子供たちを呼ぶためにそれを使いたいからだという。息子も娘も、自分たちが幼少の頃、庭で遊び呆けていると、夕食の準備が調ったことを知らせるためにその人が鳴らす、涼しげに夕空に響く鈴の音を覚えている。その鈴は、三十九年前に亡くなったその人の夫が海外出張に行く度に買ってきた世界各国の人形たちが所狭しと並べられた硝子張りの飾り戸棚の中にどこかにあるはずだとその人は言う。
 娘がまず探した。飾り棚の中を隈なく探したが見つからなかった。その人はそんなはずはないと言う。今度は息子が探した。息子はその飾り棚だけでなく、家族三世代の想い出が染み込んでいるサイドボードの中を探してみたが、やはり見つからなかった。「おかしいわねえ、飾り棚の中に必ずあるはずよ」とその人は言う。息子は、翌日また別の場所を探してみると、その人に約す。
 翌朝、誰よりも早く起きた息子は、まず、もう一度飾り棚を探してみようと、その前に立った。驚いたことに、昨日あれほど探して見つからなかった鈴が棚の手前に並べられた人形の間に立っている。それを手にとった息子は、笑いながらその人の枕元で、「不思議だね、鈴、棚の前列の目につきやすいところにあったよ」と、その人の目の間にかざして、鳴らせてみせた。「まるで自分で歩いて出てきたみたいだね」と冗談交じりに息子が言うと、「そうね。あなたたちが探しものが下手だから、自分で歩いて出てきたのよ」と、満足そうにその鈴を眺めながら、その人も笑った。娘にもその話をし、三人でまた笑った。
 その鈴は、その人が寝たままでもすぐに取れるところに、小さな藁の籠に入れて吊るされた。ときどき、娘や息子、隣の家に住むその人の姪が来ては、その鈴を鳴らして、昔を懐かしんだ。
 しかし、その真鍮製の花摘む乙女の鈴は、衰弱し始めたその人が手に持って鳴らすには重すぎた。三日後、その人は、その鈴を一度も鳴らすことなく、息を引き取った。鈴は、今、その人を生前見舞った人たち、死後最後のお別れに来た人たちが持ってきた花々に囲まれて、ひっそりと佇んでいる。










最新の画像もっと見る

コメントを投稿