内的自己対話-川の畔のささめごと

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亡き人の若く美しい姿の現前の可能性の条件としての孤悲 ―『建礼門院右京大夫集』を読む(六)

2019-05-08 14:58:52 | 読游摘録

 平資盛の生年ははっきりとしないが、一一五八年とすれば、壇ノ浦の戦いで戦死したときは二十七歳ということになる。いずれにせよ、右京大夫より少なくとも二三歳年下だった。二人が最後に逢えたのは資盛の死の二年ほど前のことだから、右京大夫の記憶の中の資盛はなおのこと「いとなまめかしく」(とても新鮮で、若々しく、美しく)立ち現れる。その姿が右京大夫の追憶の中で恒常化される。それは、右京大夫が意図的にそうするというよりも、右京大夫の心にその姿が自発的に蘇ってくると言ったほうがよい。
 時間的に現在とは隔たった過去の思い出として資盛のことが右京大夫の記憶の中に保存されおり、それが想起されているのではない。資盛の姿は右京大夫の思いの中に文字通り立ち現れる。その生き生きとした立ち現れは、右京大夫の意志の制御を逃れ、執拗なまでに繰り返される。忘れようとして忘れられるような過去ではないのだ。年月が経っても変わらないあまりにも生き生きとした資盛の現前性は、甘い追憶に浸ることを彼女に禁ずる。それは、彼女を困惑させ、苦しめさえする。

雪の深く積りたりしあした、里にて、荒れたる庭を見出だして、「今日来む人を」とながめつつ、薄柳の衣、紅梅の薄衣など着ていたりしに、枯野の織物の狩衣、蘇芳の衣、紫の織物の指貫きて、ただひきあけて入り来りし人の面影、わが有様には似ず、いとなまめかしく見えしなど、常は忘れがたく覚えて、年月多く積もりぬれど、心には近きも、かへすがへすむつかし。

年月の積もりはててもその折の雪のあしたはなほぞ恋しき

 亡き人の生き生きとした立ち現れは、不可逆的に拡大する時間的距離を限りなく零に近づくまで縮小し、存在と非存在との境界線をほとんど消し去るかのようだ。しかし、亡き人の生き生きとした立ち現れは、独り悲嘆する孤悲においてのみ成立する。つまり、右京大夫にとって、孤悲が亡き人の現前の可能性の条件なのである。