内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日本近世・近代に民衆の中に形成された「主体」の両義性 ― 安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』を読みながら

2017-02-24 18:21:31 | 哲学

 今日は一日、昨年四月に亡くなられた歴史学者安丸良夫の『日本の近代化と民衆思想』(平凡社ライブラリー、1999年)を読んでいた。初版は1974年、著者初の単行本であった。日本近世・近代の民衆思想史の古典的労作であり、初版刊行から四十年以上経っている今読んでみても、学ぶべきことが少なくない。
 解説でタカシ・フジタニが今日もなお考察に値する論点の一つとして指摘している、安丸による近代日本における主体概念の両義性の分析は、私自身が行おうとしている近代日本における主体概念研究にとっても大変示唆的である。
 近世から近代にかけて民衆の中に形成された〈自己形成的・自己鍛錬的〉な主体は、まさにその精神主義的傾向のゆえに、近代国家の「建設」に「積極的・自発的」に協力する道具として権力に利用されてしまうことを充分に自覚することができなかった。そして、このような「従順な」主体は近代天皇制の下で形成されてきた。
 敢えて皮肉な言辞を弄するとすれば、西洋起源の輸入概念である « sujet » の語源的意味である「下に置かれたもの」をそれと知らずに忠実に自ら進んで体現してしまっているのがこの民衆の主体性なのである。