このブログでも再三取り上げているピエール・アドの « exercice spirituel » という概念の構想に決定的な影響を与えた一つの研究がある。それは、後にアドの二番目の妻となるドイツ人哲学研究者 Ilsetraut Hadot のセネカ研究である。セネカ研究史に画期をなすこの研究の成果は、1965年に博士論文 Seneca und die griechisch-römische Tradition der Seelenleitung として一つの完成を見、1969年に出版されている。それとほぼ時を同じくして、彼女はフランスに定住するが、以来、その研究の独創性を認めるフランス人研究者たちからフランス語訳の出版を強く勧められていた。ところが、そのための十分な時間の確保の困難さ、博士論文以後の自分の研究の進展、その他の諸般の事情で、その仏訳は、長いこと待望されながら、なかなか実現することがなかった。それがようやく昨年暮、Sénèque. Direction spirituelle et pratique de la philosophie というタイトルで Vrin から出版された(こちらが Vrin のサイトの同書紹介頁)。しかも、それは、もはや半世紀前の博士論文の単なる仏訳ではなく、その後の研究成果も取り入れた、フランス語による増補新版なのである。それが « Philosophie du présent » というコレクションの一冊として、25€という比較的安価な版で出版されたことも意味深い。
この文献学的厳密さと哲学史的視野の広さと哲学的思索の深さを兼ね備えた稀有の研究は、単にストア哲学研究の必読文献であるばかりでなく、哲学的研究のお手本の一つとして広く読まれるに値すると言うことに私は何の躊躇いもないのであるが、とは言え、四百五十頁近いこの大著の全貌を拙ブログで紹介することは、私のような浅学非才で分野違いの粗忽者には、逆立ちしてもできない話である。
ただ、同書から哲学研究の方法について僅かばかりでも学ぶことができればという切なる思いから、同書の「さわり」を、このブログの記事として、明日から少しずつ摘録していくことにする。
今日の記事のタイトルは、同書の内容に基づいて、古代ストア派の一哲学者を現代において読むことの意味を一言で言い表そうとしたものである(仏語を解される方々は、Vrin の紹介頁に全文掲載されている同書裏表紙の紹介文を読まれたし)。