「中心と周縁」というテーマをめぐる今回の連載は、今日が最終回。といっても、何かはっきりとした結論が出せるわけではない。最後にもう一つ思いつきを記しておく程度のことしかできない。もっと正直に言えば、このテーマで今書けることの種がそこで尽きたということである。
もう一度、平面上での或る有限な閉じた空間における中心と周縁との関係というモデルを起点として、現代世界について考えてみる。
その空間の外部から内部へと進入するためには、必ず周縁を通過しなくてはならない。したがって、外部から周縁を飛び越えて中心にいきなり到達することはできない。外部、周縁、内部、中心という順序を経なくてはならない。
この順序、つまり、中心に至るには必ず周縁を突破しなくてならないという「幾何学的な」順序は、現実の世界では、二十世紀に至るまで、戦争における地上戦の基本原則であった。もちろん、個々の場合については、戦場の地形にもよるし、一国の中心がその領土のどこに位置しているかによって、戦略・戦術も変わってくる。しかし、対立する二国間での戦争で、国境線の突破が決定的な重要性をもつのは、それなしには敵国の中枢に迫ることができないからだ。今日でも、最終的な制圧のためには、地上でこの順序に従って部隊を移動させなくてはならない。
しかし、近代戦争は、この外部・周縁・内部・中心という「幾何学的な」順序を覆す兵器の開発・改良の歴史として見ることもできる。まず、大砲が発明されることで、自陣に構えながら、敵陣の要地を直接攻撃できるようになった。そして、海上の軍艦から敵の領地の内部を直接狙うことができるようになった。こうした砲撃技術革新が今日の大陸間弾道ミサイルにまで進歩する。もはや言うまでもないかもしれないが、地上戦の順序を決定的に覆したのが、第二次世界対戦から組織的に実行されるようになり、今日も実行されつつある空爆である。
もう一つ、私たちが生きる現代社会で、上記の順序を覆した技術革新は、通信手段の世界でのことである。電信・電話の発明と改良を経て、今日のインターネットの世界的普及に至って、ネットへ接続さえできれば、いかなる「辺境」からでも、いきなり「中央」にアクセスできるようになった。その分だけ、私たちは、自分がいる場所の地理的・物理的諸条件による制約から自由になった。
現代世界は、この意味で、平面上の中心と周縁と間の幾何学的な関係をモデルとする思考形式が通用しない、あるいは見えにくい領域・空間が拡大しつつある時代と言うこともできるかも知れない。
他方、権力構造一般について見れば、その中枢に近いほど大きな権力を所有し、より大きな利権を享受しやすく、末端方向に向かって中枢から離れれば離れるほど、それらが小さくなり、さらには、より中心に近いものがより遠いものから搾取するという、中心と周縁との間の格差の構図は、国家の権力構造に限らず、相変わらず種々の組織の中に見出される。
一方で世界図式として解体しつつあり、他方では私たちの思考・行動をなお規定し続けている「中心と周縁」という構図そのものを徹底的に検討し直すことが、現代世界の諸事象を見直すための一つの視角を開いてくれるかもしれない。
そのための手掛かりの一つとなりそうだと私が考えているのが、最後期西田哲学から引き出せる「周縁なき無数の中心としての個物」という概念である。