
年末のカウントダウンを一緒に過ごそうと、彼女は両手一杯に食材を買い込んで現れた。
真っ赤なマフラーが、寒さのせいで透き通るような白い頬にとてもよく似合っている。
僕は十分に温めた部屋の中に、彼女を招き入れる。
仄かなフレグランスの香り。
それは、僕にとって幸せな時間の始まりの合図だった。
世界に自分と似ている人は3人いるという。
しかしそれは見た目だけではないのかもしれない。
僕と彼女は出会った時から、確かな絆を感じていた。
想うことも、感じることも、ふとした仕草さえ、僕達は似通っていた。
まるで二つの鐘が響きあうように。
僕達の心はぴったりと寄り添い、重なりあっている。
例えば彼女の手に触れただけで、その時彼女の心に思い浮かんだものが僕の瞼にありありと浮かべることが出来る。
そんな風すら、思うのだ。
栄養士の彼女は、実はパティシエの僕より料理が上手い。
お互い創意工夫という点では負けないが、彼女の方が数段緻密に考えられた料理を作る。
シンプルだけど、濃厚な味わい。
料理は掛け算だ。
食材とスパイスを掛け合わせ、一つの芸術を作り上げる。
この日も彼女は張り切って、僕の部屋のキッチンを占領している。
ひらひらと動くエプロンのリボンを目で追いかけながら、僕はゆっくりとワインのコルクを抜いた。
彼女と知り合って、ほぼ1年近く経とうとしている。
僕等はいつも穏やかに日々を過ごしてきた。
目が合えば微笑みあい、触れ合えば手を繋ぎ、会話の端々でキスを交わす。
たおやかな春。小麦色に輝く夏。しっとりと夜に沈んだ秋。
そして僕達の冬は、氷で出来た食卓を思い起こさせる。
ミルクも、コーヒーを注ぐポットも、降りそそぐ日差しさえ。
完璧に凍りついた、幸福な食卓。
口の端をあげたまま凍りついた笑顔は、どんなに日差しが降りそそいでも形が崩れることはない。
しんと冷えた、幸福な食卓。
「乾杯をしましょう。」
出来上がった料理の前で、僕達は密やかにグラスを鳴らす。
灯る蝋燭の炎。
壁に揺れる二人の影。
暖かいオレンジ色の光の中で。
彼女は麗しく微笑む。
丹精な料理はやはり緻密な味付けがされていて、僕は喉に詰まりそうになって水を飲む。
彼女と僕は、昔・・・そう前世で双子だったのかもしれない。
時折そんな風に考える。
こんな風に価値観や物の見方が同じ人間を、僕は見たことはなかったから。
まるで鏡を見るように。
彼女と一緒にいると、彼女を通して僕自身を見つけることがある。
蹲り、ぼんやりと虚空を見つけている小さな僕。
その一瞬僕と彼女の境界線を見失い、僕ははっとする。
目の前にいる彼女に触れて、そこにいるのが確かに僕ではないと確かめずにはいられなくなる。
美味しい夕食の後。
おもむろに彼女は、小さな箱を取り出した。
「プレゼント。」
少し、はにかんだ笑顔で僕に差し出す。
時計は、午後11時45分を指していた。
「プレゼント?何で?」
「いいから!」
彼女はにこにこと笑って頬杖をつく。
僕も笑いながら、真っ赤なリボンを解いた。
真っ白い箱の中に眠っていたもの。
それは黒く鈍い油脂的な光を放つもの。
その凶暴なフォルムに、僕の笑顔が凍りつく。
彼女の変わらない笑顔があんまり幸福そうなので、僕は悪い夢を見ているような気持ちになった。
「これは・・・。」
ごくりと、喉を鳴らず。
震える指先に、冷たい感触が這い上がってくる。
「トカレフ。」
愛らしい唇が、無邪気に言葉を奏でた。
「そのトカレフで、死んでくれない?」
どうして・・・・。
僕の胸の中で、疑問符がくるくると円を描いている。
それは暗い闇に、はらはらと降り積もってゆく。
足跡のない、どこまでも続く純白の雪原。
驚きが潮が引くように消え去った後に残されたのは、そんなしんと冷えた時間だった。
「分かっているでしょう。」
彼女は、ゆっくりとワインを煽った。
紅い唇から、ほうっと重い溜息が零れる。
「貴方のことはとても好きよ。こんなに分かり合える人は、きっと誰もいない。心からそう思うの。」
潤んだ瞳が、優しく僕と包んでいく。
「でも私達はあんまりに似すぎている・・・だから、一緒にいることは出来ないの。」
「どうして。」
からからに渇いた喉から、低い声が漏れるのをまるで他人事のように聞いた。
彼女は、まるで見たこともない程の慈悲深い顔をして、僕の顔を覗き込む。
「だって・・・私達はまるで鏡のように、醜いところを露にしてしまうのよ。貴方と一緒にいると、まるでずっと自分が責められているような気になるの。自分への醜さに、吐き気がしてくるの。」
彼女の、形のよい眉が小さく歪む。
「私達の愛は、まるで憎しみ合うような愛なの。」
「君は僕に・・・。」
「だからもう、どちらかが死ぬしかないのよ。」
「死んでと望むのか・・・。」
「そうして、幸せなカタストロフを迎えられるのよ。」
「それが君の望みなのか・・・。」
カタストロフ・・・。
僕は俯き、手の中にあるトカレフを見つめた。
きちんと装填されたトカレフはつやつやと輝いて、終焉を語るにこれ以上ない美しさだった。
僕と彼女は出会った時から、確かな絆を感じていた。
想うことも、感じることも、ふとした仕草さえ、僕達は似通っていた。
まるで二つの鐘が響きあうように。
僕等はいつも穏やかに日々を過ごしてきた。
目が合えば微笑みあい、触れ合えば手を繋ぎ、会話の端々でキスを交わす。
彼女と僕は、昔・・・そう前世で双子だったのかもしれない。
時折そんな風に考える。
こんな風に価値観や物の見方が同じ人間を、僕は見たことはなかったから。
まるで鏡を見るように。
彼女と一緒にいると、彼女を通して僕自身を見つけることがある。
それは、汚わいを含み穢れるままに穢れた醜い姿。
彼女の中に飼う僕は、すなわち僕自身の本質でもあった。
僕は彼女を愛し、同時に彼女の中の僕を憎んだ。
愛する為に一緒にいるのか、憎しみ合う為に一緒にいるのか。
その境界はいつしか曖昧な陽炎になり、輪郭を失った想いは深く深く交じり合い、僕らを狂気へと導いていく。
「君を、愛している。」
僕は顔を上げて、彼女にそう告げた。
彼女は、分かっているというように小さく頷いた。
「愛していることは間違いないのに。」
僕の背後のTVで、カウントダウンが始まる。
「それでも・・・お互いに出した結論は、同じだったんだな。」
僕の目から、涙が零れ落ちた。
その軌跡を目でなぞりながら、彼女ははっと自分の喉に手を当てる。
驚く口の形のまま、彼女は僕を見た。
僕はありったけの慈悲深い顔をして、彼女に微笑みかける。
大丈夫。
すぐに、楽になる。
そういう薬を選んだから。
愛しい君が、せめて苦しまずに逝けるように。
彼女の形のよい繊細な指先が、ぶるぶると震えながらワイングラスを掴む。
それは空しく手の中で砕け、彼女は大きく息を吸うようにのけぞった。
胸をかきむしり、見開いた瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
何かを言わんとしているのか、ぱくぱくと口を動かしながら、僕に向かって手を差し伸べる。
僕は泣きながら、彼女の額に黒い銃口を押し付けた。
夜を振動させる銃声。
しんしんと冷えつく無音。
ゆっくりと棚引く硝煙。
彼女の体をかき抱き、僕は淋しく絶叫する。
除夜の鐘が、遠く聞こえる。
それは始まりの音なのか。
それとも終わりの音なのか。
僕が殺したのは、確かに彼女だったのか。
それとも、僕は僕自身を殺したのか。
何もかもが混沌とした時間の中で、僕は浪々とした鐘の響きに耳を澄ませていた。
その美しさだけは、胸に刻みつけようと瞳を閉じながら―――――。