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「戯言の部屋」

セピアス、戯言を語るの間

こんな夜には 第四弾(完全ポエム)

2006-10-20 23:23:26 | こんな夜には

 私の知る君の 一体どれくらいが真実なんだろうか
 もし全てが本当だとして
 それが氷山の一角ならば 一体どこまで 
 踏み込むことが許されるのであろうか
 
 嘘をつくという技術は 真実をぼやけさせる
 心を偽る為に嘘をつき
 心を守る為に嘘をつき
 心に防波堤を作る為に嘘をつく

 全てを理解してあげたいと 望んでいるのではない
 ただそこに 確かにある苦しみの輪郭をなぞり
 ほんの少しでも安らぎとなりたいだけ
 もし触れてもいいと 言ってくれるのであれば

 でもきっと 本当に手を差し伸べてもらいたいのは自分自身
 辛さから目を逸らす為に 他人の苦しみに身を投ずる
 そして感じる痛みは 私の痛みではないと
 自らに言い聞かせている

 でもじゃあどうしたいのと言われたら
 言葉につまってしまう
 私の真実こそがぼやけているのか
 それとも ぼやけた真実でいたいのか

 そうして思いはループを描き
 始まりへと戻っていく
 


こんな夜には 第三弾(抽象派テイスト)

2006-06-20 22:53:16 | こんな夜には
 時折、心が透明になる夜があります。
 長い時間封印してきた問題や、今の自分のあり方などが、残酷なほどくっきりと目の前に見えてきてしまうのです。

 私はいつも。
 深く満々と闇を湛えた井戸のへりに手をかけて、必死にぶら下がっているような。
 そんな風に時を過ごしています。
 見下ろせば、どこまでも続く暗がり。
 目を空へ転じれば、抜けるような青空。
 その狭間にいて、どっちつかずに漂っている。
 それが私です。

 井戸の底にはもう一人の私がいて。
 へりにいる私が落ちてくるのを、虎視眈々と待ち構えている。
 井戸の底はじっとりと濡れ、そして少しあたたかい。
 もう一人の私は、そこで膝を抱えながら、空ろな眼差しで中空にいる私を想っている。

 井戸の外は、眩しいほどに光が溢れた世界。
 底の底まで貫き通すようなその透明な光。
 私自身を白日の元に晒そうとする。
 影さえ蒸発してしまいそうな。
 そしてあらゆる事象、あらゆる風景が、尖った鉛筆でなぞったようにはっきりと見えている。

 健康的な日々に飛び込んでいくのも。
 アンダーグラウンドな世界に閉じこもるのも。
 今の私には決められない。
 なぜなら、それはどちらにもその場所でしか得られないものがあり、そしてその恩恵を受けて今の私が存在するから。

 でも。今。
 ほんの少しだけ、闇の色が濃くなったような。
 
 きっと貴方はこの光の中。
 くるりと私に背を向けて、まるで哀しい陽炎のように、光の中に溶けてゆくのでしょう。
 きっと貴方はこの闇の中で、蜘蛛の糸を掴むようにその手を伸ばしてゆくのでしょう。
 そして私は。
 そして私は・・・。

 ただ、今は思い切り眠りたい。
 惰眠を貪りながら、密やかな審判の足音を聞こう。
 心臓と羽を持って。
 厳かな秤が、私の行く末を高らかに告げるだろう。

こんな夜には 第二弾

2006-03-22 00:15:47 | こんな夜には

 時折、心が透明になる夜があります。
 そんな時、普段見過ごしてしまうささやかな優しさや、思わぬ自分の醜さが見えてしまうことがあります。

 私は、とても臆病でそして我侭な人間です。
 誰かに何かを与えられることを、時折「当たり前」のように感じてしまうことがあります。
 それどころか、与えてくれていることにすら、気付かないことすらあります。
 あまりの自分のいいかげんさに自己嫌悪して、日々「何をしてくれたか」でなく「自分が何をしたか」を考えて生きていこうと心がけているのです。

 でも。

 例えば愚痴を聞いたり、相談に乗ったり。
 親身になることと、親しくなることは違うと、最近気付きました。
 相手を受け入れても、自らのことを語らないのは、少しだけ卑怯なことなのかもしれない。
 だって、親身になっているうちは、嫌われたりしないから。
 本当の自分で勝負をしないから、拒絶されることはない。
 そんな打算があるのかもしれない。

 偽りの自分で、他人と付き合っているわけではないですが。
 どうしてだか、「哀しい」とか「辛い」とか・・・・言えなくなっている自分に気付きます。
 それとも、人を受け入れ支えてあげることで、自分の中のマイナスな感情を昇華できるのか?
 誰かに優しくしたり、親身になることの喜びが、自らの「辛い時期」や「辛い時間」を救済してくれるようになるのか?

 私の弱さを受け入れてくれる人は、確かにいます。
 大丈夫だよと、手を差し伸べてくれる人はいます。
 私は勇気を出して、その手を掴む。そして苦しみを吐露する、たどたどしく。
 でも時折、その手を見失ってしまうことがあります。
 自分の中の激情に飲まれて、支えてくれるだろう手が見えなくなってしまう。
 
 人に頼ることや、甘えること。
 それが大切な人であればあるほど、勇気を必要とするのです。
 人間関係は、常に作っていくもの。
 ふとしたことで壊れるかもしれないし、永遠に変わらないわけじゃない。
 だから精一杯の勇気を出して、助けを求めているのです。

 まだまだ、私は「リハビリ」中です。


こんな夜には(ポエムチックに語るw)

2006-01-11 01:51:11 | こんな夜には

 時折、とても心の中が透明になる夜があります。
 澄みきった水面から、その底を覗き込むように、自分の在り方が見えたり。
 とてもササヤカな、取るに足りない出来事が体中を揺さぶったり。
 突然に、ひとつの真理の欠片を見つけたり。

 私の心の核が、何かを感じずにはいられない夜。

 心が弱くなるのも、そして小さな勇気が灯るのも、こんな夜です。

 私は時折とても残酷に人を傷つけるし、とても身勝手な期待を押し付けて、勝手に失望したりします。
 また、この人の為になんでもしてあげたいと、純粋な想いに駆られることもあります。
 どんなに沢山の人が回りにいても、例えようのないほどの寂しさを感じることもあります。
 頼られることに、堪らないほどの喜びを感じることもあります。
 そして私は沢山の人との間に、様々なドラマを連綿と織り成しているのです。

 そんなドラマの中で、いつも思うことがあります。
 私は何ていろいろな人に支えてもらっているのだろうということ。
 そして、私はいつも何かを求め続けているのだな、ということ。
 
 私が求めているものの正体を、いまだ正確に掴んではおりません。
 それが愛情なのか、栄華なのか、ほんの少しの安らぎなのか・・・。
 言葉にしようとする度、それは私の手の中からするりと抜け出してしまう。
 どんなに目を凝らしても、その全貌を見出すことは出来ません。
 忍びやかな気配を、微かに感じ取ることが出来るだけ。
 そして私は空しさの中で、空っぽの両手に目を落とすのです。

 こんな夜には。
 自分の心の中が蒼く澄み渡って、私が求める何かがきらりと光るのが見えます。
 一等星のような輝きもなく、燃える炎のような荒々しさもなく、ともすれば見逃してしまいそうな程の密やかな光。
 あの光を手にとって、与えてくれる人がいるのだろうか。
 それとも、あの光はただ幻にすぎないのだろうか。
 自分がもっと謙虚で誠実な人間になった時、あの光を自ら掴むことが出来るのだろうか。
 
 答えの出ない問いの中で漂っていると、ようやく眠りが私の元に訪れます。
 後ろ髪引かれる思いで振り返りつつ、やがて諦めて、ため息とともに私は眠りの中へと身を投じるのです。

 いつもいつでも。
 こんな夜には。