
祖母が亡くなった時。
私は仕事中で、仕事が終わった時に母親から連絡をもらいました。
ガンが酷くなっていると聞いていたので、知らずに自分の中で覚悟をしていたらしく。
臨終の時に、母親が傍にいることが出来たから・・・きっと、淋しさはなく逝けたんだろうな、と考える余裕がありました。
父親が亡くなった時。
叔父さんが知らせてくれたのですが。
もう何十年も会ってない父だったので、驚きはありましたがそこまで悲しいというほどでもありませんでした。
まあ、勿論悲しくはありましたが。
いつか、必ず墓参りに行こう・・・と思って。
それが、父親に対して私が出来ることだなと。
決心することで、悲しみを忘れられたように思います。
でも、今。
親しい友人を亡くしました。
27歳の若さです。
友人を亡くす、というのは今までも無くもなかったですが。
こんなに親しかった人を亡くしたのは初めてです。
去年の9月から、本当に毎日毎日会話していました。
深い話もしたし、ジョークを言って笑ったりもしていました。
毎日の中で、輝くような時間を与えてくれました。
そんな彼女が亡くなったなんて・・・。
信じられないというより、呆然という感じです。
彼女の言葉の欠片が、今も胸にありありと息づいています。
今もまだ、声をかければ応えてくれるのではないか。
優しい暖かいあの言葉で、私を包んでくれるんじゃないか。
そんな風に思います。
今生きている、この瞬間の方が、よっぽど悪い夢のようです。
悲しみは後からやってくるんだろうか。
妙に冷めた目で、この景色を見つめる自分がいます。
これから自分がすべきこと。
それだけが、暗闇に光る灯火のように明るく燃えているのが見えます。
忘れることなんて、出来ません。
時間とともに、記憶の奥深くに埋もれていくかもしれなくても。
今は、まだ、彼女の存在をはっきりと感じていたい。
本当に「失う」ということは、キツイことですね。
辛さを辛さと感じられないくらい、キツイことだと思います。
どうするべきなのか、を今はまだ見つけられないし。
どうするべきも何も、「ない」のかもしれませんが。
私が出来ること、私がしたいと思うことを。
ただただ、今は追及するだけです。
自分が、納得出来るまで。
本当に、彼女との時間を愛していました。
かけがえの無いものを、沢山くれました。
神さまに愛される人だった。
愛されすぎてしまったんですね。
今この思い出を抱えて、ただ昂然と空を見上げることしか。
出来ない自分がふがいないです。