
彼女の場合
買い物に行こうと言われた時から、憂鬱だった。
彼が買い物と言うと、それは服とかアクセサリーではない。電化製品だ。
悪いけど、電化製品なんてそう必要になることなんてないはずじゃない?
でもあたしの彼氏は、しょちゅう電化製品を見たがる。
まあ、仕事柄、新しいものや性能のいいものを必要としてるんだと思うけど。なんたらソフトがどうとか、なんたら商品は画期的だとか。どうでもいい講釈を長々話す。そんな専門的な話、分かるわけがない。付き合い始めは、相手に気を使って、頷いたり相槌を打ったりしてたけど、今はとてもそんな気になれない。横目でちらりと見て、聞き流す。むしろそんな態度で、興味がないってことを分かってもらいたい。
三軒目を回ったあたりで、足が痛くなってきた。
細いヒールの靴は、長時間歩くのに合わない。
失敗したわ。もっと歩きやすい靴を履くべきだった。
あたしの彼氏はとにかく色々見て回るのだ。あっちの店こっちの店と見て回って、散々悩んで、結局最初の店に戻って・・・その繰り返し。
一緒にいると、まるでオバサンのバーゲンにつき合わされている気がして、うんざりしてしまう。
彼が電化製品見て、私は服とか見て、後刻待ち合わせってことにして、美味しい夕食でも食べればいいと思うのに。それは嫌だといわれたことがある。そんなに一緒にいたがるなら、嫌気がさしてる私の気持ちを察してよ、と思う。
気持ちがくさくさしてきて、煙草を取り出し火をつけた。
紫煙が、夕暮れ迫る町並みに棚引いていく。
その美しさを、うっとりと見遣った。
「疲れた?」
彼があたしの顔を覗き込んで言った。
「別に。」
疲れたに決まってんでしょ。分かってよ。と心の中で呟きながらも、一応相手に気を使って応えた。
それでも、言葉の端に苛立ちが滲んでしまうのを止められない。
でも、彼はそれに気付かない。言葉通り、何ともないんだって安心して、次の店へと私を引っ張っていく。
ああ、なんてこの人はこんなに鈍感なんだろう。
私はそれが我慢出来ない。
そろそろ・・・やっぱり・・・別れるべきなのかなあ。
そんな風に思った時だった。
「ほら、見て。紅い目の麒麟がいる。」
彼の悪戯っぽい声に、はっと顔を上げた。
彼が指し示す空の下。切り取った影絵のような町並みに、ひっそりと三頭の麒麟が佇んでいた。
いや、それは工事中のクレーン車だ。でも全てを黄金色に染めぬいてしまうこの黄昏の中では、天空の星を食もうと首を伸ばす麒麟に姿を変える。
紅い目を淋しげに瞬かせ、遠い何かと交信する。
声なき声が、私の耳朶を振るわせる。
そうして思い出した。
彼は、こんな風に繊細な感性の持ち主だった。
大雑把な性格な私にはない、透き通った瞳で世界を見ている人だった。
枕元で、ギターを掻き鳴らし、少し照れくさそうに歌った彼の横顔。
キスをする時、いつも伏目勝ちに私を見るその眼差し。
腰に添えた手の温もり。
好きという感情が当たり前になりすぎて忘れてしまっていた。
彼の彼だけが造ることが出来る優しい時間。
ああ、やっぱり好きなんだな。
ごく自然に、当たり前のことに、気付かされる。
だから私は、自分から彼の手のひらに自分を委ねた。
不器用な彼の、不器用な私の、不器用な愛情表現。
でも、この暖かさがあれば大丈夫。そんな風に思った。
麒麟は空を見上げて、小さく一声啼いた――――気がした。

彼氏の場合
三軒目を回ったあたりで、彼女が煙草を取り出した。
俺はそれを、横目で黙って見る。
俺も煙草を吸うので、あえてくどくど言わないけど。
でも、彼女には煙草を吸って欲しくない。
以前さらりと言ったことがあるけど。覚えているのかいないのか。彼女は俺の前でパカパカ煙草を吸っている。
女性が煙草を吸うのが駄目と思っているわけじゃ別にないんだ。ただ自分の彼女だけには、あんまり吸って欲しくないだけだ。
特に女性は肌にくるだろう?彼女は白くて奇麗な肌をしているから、煙草で台無しにするのは勿体無いって思う・・・それだけなんだけどな。
紫煙を吸い込む彼女の目が、空ろになっている。
こういう場合の可能性は3つ。
疲れている。お腹がすいている。眠い。
ぱっと見ただけでは、どれなのか分からない。
面倒臭えなあ。
俺は心の中でそっと、溜息を吐いた。
さっき会ったばかりだから、眠いってことはないだろう・・・でも彼女は比較的寝るのが遅いから、眠いってこともあるかもしれないなあ。飯は・・・食ってきたはずだから、お腹がすいているってことはない。ショッピングをして小一時間だけど・・・疲れたのか?たかだか小一時間で疲れるってのもない気がするけど、可能性としてはこれが一番高いか。
「疲れた?」
俺は隣で不貞腐れている(ように見える)彼女に尋ねた。
「別に。」
彼女はむすっとしながら応える。
別に、じゃねえだろ。俺は心の中で呟く。
一体なんなんだよ。何が不満なんだよ。
彼女はいつもこうだ。
気持ちと反対のことを言う。でもちゃんと言ってくれないと、何が嫌で何が不満なのか分からない。
俺はエスパーじゃないんだからさ。
でも彼女は、いつも気持ちを紫煙に託して中空に吐き出してしまう。言葉になりそこねた思いが白い煙になって霧散する。そして俺は、彼女の気持ちを量りかねて佇んでしまう。
俺はそれが我慢出来ない。
ちゃんと、言ってくれ。そう何度も言ってるのに。
どうして女ってのは、こう分かりにくい生き物なんだろうか。
面倒えなあ。
俺はふっと溜息を吐いて、煙草に火をつけた。
目を上げたその先に、俺は俺達を見つめる優しい眼差しに気付いた。
「ほら、見て。紅い目の麒麟がいる。」
思わず彼女に、そう言っていた。
俺の指し示す先を見遣って、彼女ははっと息を呑む。
棚引く雲の谷間から零れ落ちる黄金色の夕日。
その真ん中で、首を伸ばし紅い目を明滅させる麒麟。
彼から見たら、俺達の小さな気持ちのすれ違いなど煩い雑踏に紛れて見えるのだろう。
それとも、暖かい温もりの中に沈む幸せなカップルに見えるのだろうか。
言葉もなく、遠い黄昏を見据える。その佇まいがあんまり淋しそうで、胸が疼く。
その時、俺の手に彼女が自分の手を重ねてきた。
その柔らかい手のひらの感触があまりに優しかったので、俺は思わず小さく微笑んで彼女の肩を抱き寄せた。
そう、俺達は俺達だけの、優しい一時を造り出すことが出来る。
手を伸ばせば触れることが出来る場所に、いつも彼女はいてくれる。
それは、案外幸せなことじゃないか?
寂しさを癒してくれる彼女の温もりを、俺は精一杯大切にしていきたい。
俺は器用な方じゃないし、相手のペースに合わせるってことも苦手な方だ。だからいつも彼女を思いやることを忘れがちだけど。でも、それでも、彼女が好きって気持ちは本当だし、彼女と一緒にいたいって気持ちは揺ぎ無い。
誰よりも幸せにするなんて気障なこと、言葉にして言えないけど、それくらいの気合はあるつもりなんだ。
彼女の香りが、俺を優しく包み込むのを感じる。
そうしてここから俺達。
淋しい麒麟を見ていこう。
俺達の道程を見守ってくれる、紅い眼差しを背中に受けながら――――。