高処から眺めよ(アウレーリウス・自省録より) 下から眺める(柳屋小三冶)

物事を見るときには、余裕がほしいのですが難しいものです。状況が悪い時は、もっと下から眺めれば、いいのかも。

細胞死

2005-07-26 08:03:14 | Weblog
 大阪大学のHPの中に、質問コーナーというものがあり、読んでおもしろかったので、一部をはりつけます。細胞死についての質問からの解答です。

 もう一つ但し書き(これも読まない方がいいかも)。ゾウリムシは単細胞とはいえ核のある真核生物で、核のない原核生物バクテリアよりずっとヒトに近い生物ですが、バクテリアにもゾウリムシと同じような「性」があります。接合して遺伝子交換をして遺伝子内容の入れ替えをします。ただし、かりにそれをしなくても、姉妹細胞集団に寿命が来ることはありません。もちろん遺伝子内容が同じですから、もし環境が変わると適応できなくなって「事故死」しますが、自分自身の原因で「死ぬ」ことはありません。では、これはバクテリアが「下等」だからでしょうか?そうではありません。植物を見て下さい。植物は核もあるし多細胞だし、「高等」な生物ですよね。でも、植物は、サクラの挿し木とかヤマイモのムカゴとかジャガイモの芽とかから、有性生殖によらず新しい個体を作ります。1本のサクラの木は100年くらいで枯れますが、挿し木で作った新個体や自然に芽を出したり株分かれしてできた新個体は、また100年くらい枯れません。入学式のころ咲くソメイヨシノザクラは、日本中に何百万本あるか知りませんが、あれは全部クローンです。江戸の染井村で、ある植木屋さんがオオシマザクラとエドヒガンザクラを掛け合わせて作ったあと、全部挿し木で増やしたんです。こうしてみると、植物は、虫に食われたとか、雨が降らず枯れたとか、排気ガスにやられたとか、大きくなりすぎて台風で折れたとか、そういう事故がないかぎり原則として死なない、といってもいい。なお、アポトーシスとの関連ですが、植物にアポトーシスがないというわけではありません。水を運ぶ導管の細胞は、自分で死んで空洞を残します。落葉樹が秋に葉を落とすのは、離層というところを作ってそこの細胞が死ぬからです。
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2 コメント

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もみじの天麩羅 (koma)
2005-07-27 13:02:46
「落葉樹が秋に葉を落とすのは、離層というところを作ってそこの細胞が死ぬからです」



昔、この話を聞いて暫くした頃、紅葉したもみじの葉っぱの天麩羅を食べたことがあって、「今、俺は、もみじの排泄物を食べているんだ」などと思ったことがあります。

人間はどうして自殺するのでしょうか (何太郎)
2005-07-28 07:22:21
途上国は病気や事故死が多いです。先進国は自殺が多くなります。自殺は人類にとってのアポトーシスでしょうか。必要不可欠なものなのでしょうか。それとも理想的な社会システムを構築すればなくなるのでしょうか。少子化も同じかもしれません。文化がある程度発達すると人口増加を抑制する力が働く。これは長い年月をかけて人類が獲得した種の存続方法なのかもしれません。

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