城郭探訪

yamaziro

大浜神社 東近江市能登川

2012年08月29日 | 番外編

大浜神社概要: 


大浜神社の創建不詳ですが、古くから伊庭荘八郷の産土神として信仰されてきた古社です。

鎌倉時代には、佐々木六角の支流の領主伊庭頼高が地主神として崇敬したことで歴代伊庭氏が庇護し社運も隆盛しました。

戦国時代に入ると安土城から北東方向に境内が当る為、安土城の鬼門鎮護の鎮守社として崇敬され、文禄3年(1594)に現在地に遷座し

江戸時代も領主である三枝土佐守が庇護します。

境内にある仁王堂は鎌倉時代前期に建てられたと推定されるもので入母屋、茅葺、桁行5間、梁間5間、当初は正面に一間の向拝が付いていた仏堂だったとされ後世に現在地に移築されました。大浜神社仁王堂は滋賀県内に残る数少ない中世初期の仏堂建築の遺構として貴重な存在で滋賀県指定有形文化財に指定されています。

仁王堂大浜神社

東近江市伊庭町に鎮座

村社

祭神 須佐之男命 

社記によると、当村は元、古天王と呼ぶ所にあったが文禄三年(1594今の地に遷座とある。
古くは牛頭天王と称えたが、明治四年(1871)社号を現在の大浜神社に改めた。
この社の氏子は浜村座、或は、大浜座と称した事に依るという。

輿地誌略伊庭村の条に、「牛頭天王社伊庭山麓78町に在り、祭る所素盞鳥尊、
山域国祇園牛頭天王と同体なり、即ち伊庭庄中の産土神なり」とある。
ここに言う伊庭庄とは、今の伊庭、能登川、北須田、安楽寺の4村を指す。

当地は伊庭氏の本拠であり、室町時代の連歌師・宗祇の出自地だとも言われる、
古くて由緒ある土地柄である。

鎌倉時代前期の建物。
   現在は改修されて祭礼の場や神輿庫(伊庭の坂下し祭)として使用されているが、元は正面に一間の向拝が付く
   五間仏堂という建物であった。



伊庭の坂下し祭

伊庭の坂下し祭 織峰三神社 滋賀県近江市

連休真っ只中の 五月四日 奇祭 織峰三神社降神祭(伊庭の坂下し祭)県無形文化財に 来ました。 全長五百メート
ルの 岩山を 三基の神輿を 下ろす奇祭!日吉大社の 丑の神事を 手本に始まり 約八百年間 続けられている 危険
きわりないこの 神事 毎年 怪我人も出るという 荒々しい この祭 今から わくわくします。

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