城郭寺院 敏満寺
敏満寺は、奈良時代の頃は青龍山をご神体として山岳信仰から始まったとされ、鎌倉時代には最盛期を迎えたようです。
戦国時代に浅井長政や織田信長などに攻められ衰退しました。
また、江戸時代には彦根城築城のため多くに石垣を持ち出された、記録が残っていますが、断片的な資料故、謎の多い寺院でした。
現在は、敏満寺という寺院は存在しません。が、字名として残っており寺院中心は、名神高速道路多賀サービスエリアと胡宮神社境内付近の丘陵地と推測されています。
多賀サービスアリアの説明板
敏満寺城の縄張り図
名神高速道路の多賀ザービスエリアの上り線、GS後の森が城址です。敏満寺遺跡の石碑
郭跡は、公園・ドックランとして整備されています。
土塁で廻りは保存大手道
スタバの裏は、櫓台・・・石垣の巨石は残されています。
名神高速の開通前の敏満寺地区の地図
下り線の説明板
下り線の建物の裏に、土塁の一部が残されています。
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