城郭探訪

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佐目館 近江国(永源寺)

2016年04月04日 | 居館

佐目館 

お城のデータ

時代:中世細分不明 
所在地:東近江市(旧:神崎郡永源寺町)永源寺佐目町  map:http://yahoo.jp/hfWSad
緯度経度35.073111, 136.348028 
現 状:ダム湖・山麓
区 分:居館(城館)
築城期:室町期?
築城者:佐目氏
遺 構:水没不明
目標地:永源寺ダム・佐目集落
訪城日:2015.10.21
お城の概要
近江盆地は古来より穀倉地帯として知られており、太閤検地で78万石が打ち出される等日本有数の稲作地帯であった。しかし、流域河川の多くは天井川で慢性的な水不足に陥りやすく、農民による水争いが昭和初期まで頻発していた。これを解消し安定した灌漑用水を確保するため、農林省(現・農林水産省)近畿農政局によって野洲川ダム(野洲川)等の灌漑専用ダムが建設され、愛知川にも1952年(昭和27年)に灌漑専用ダムの建設が計画された。

1952年に計画が始まったが、水没世帯数213世帯・・・「萱尾、佐目、九居瀬の三集落と相谷の一部の計百七十一世帯が土地を手放し、家屋や田畑などが水中に沈んだ。」佐目出身で湖東信用金庫理事長の大西和彦さん・・・ということから反対運動が根強く補償交渉に時間が掛かり、完成したのは20年後の1972年(昭和47年)である。この水没集落の九居瀬・佐目の城館も同時に水没した

お城の歴

 中世には、八風街道が伊勢への間道として、保内商人や得珍保の商人は、僧兵の警護で伊勢との交易に使用している。

(得珍保(とくちんのほ)は中世、遅くとも鎌倉時代頃から戦国時代まで近江国蒲生郡(現・東近江市)に存在した延暦寺東塔東谷仏頂尾衆徒領の荘園である。保内の今堀日吉神社に保蔵されていた文書によって座商人たちの商業活動が判明している数少ない例であり、後の近江商人につながる中世後期商人たちの拠点となった荘園でもある。また惣結合(郷村の自治結合)が発達した地)

また、小椋谷は近江源氏小倉氏が支配下にあったが、相谷の土豪小辰氏が残した「小辰家文書」によれば大永元年(1521)の江北合戦後に(現長浜市)安養寺城主の安養寺勝光の一族が相谷に移住し、小辰姓に改称して相谷万灯山城主となったとされている。永禄2年(1559)に織田信長が守山から八風峠を越え清州に戻ったとき、小辰勝徴が道案内をしたと記されている。これは信長公記の記述と一致している。

 

信長公記 首巻21~30 天下見物  丹羽兵蔵御忠節の事

----- 美濃衆は小川表の管領屋敷に参上した。信長公も小川表見物と称して出てきて、彼らと対面した。信長公は彼らに大音声で呼びかけた。
「汝らは上総介の討手に上りたるとな。若輩の分限で我を狙うとはこれ蟷螂の斧と申すものよ。出来るものか。それともここで試して見るか」
頭の者たちは一様に窮してしまった。この珍事に対し、京童は大将にはあるまじき振舞いであるといったり、若若しき大将には似合いであるといったり、褒貶さまざまであった。

数日後、信長公は京を後にし、近江から八風峠を越え尾張に帰った。----

 

 もともと佐目の村は佐目子谷の出合い付近、愛知川左岸の袋状の段丘上に位置していたが、永源寺ダム建設と同時に湖底に沈み、現在は「牛ガ額」と呼ばれていた場所に移築されている。鈴鹿山麓は奥山で雪も深く、田畑は生業には向かず、植林や茶、蚕の栽培が主であったが、この村だけが段丘上に位置していたという事から唯一、米作が盛んであった。
  佐目の村にはトンネルを越えて右の細い道へ入ると、突き当たりに若宮八幡神社があり、村の氏神になる。そこで若宮八幡宮と塔尾金神社の二つが祀られている。米作が主とされていただけに雨乞信仰と密接な関係を持ち合わせる。人々は若宮八幡神社で雨乞いをして、芳しくなければその御神体であるお金の塔まで佐目子谷から拝坂尻、大峠、北谷尻谷、コリカキ場という長い道程を歩いて祈雨登拝していた。お金の塔では、三日三晩、鉦太鼓を叩いて祈雨し、三日で駄目なら五日、七日と続けた等、殺伐としたものである。雨乞いは
「アメチヨボ、ブチヤケ、ザンザト、ブチヤアケ、ザンザラザント、ブチヤケ、ブチヤアケ」と祈雨された。
   
 もともとは永源寺派の大龍寺という寺があり、村人はすべてその寺の檀家であったという。婚姻は大半が村内婚であった。また佐目の村はかつて、お金の村と称されており、鉱夫の村と言われていた。金は銭ではなく、金、銀の事である。お金の村が佐目となった村名の起こりは、様々な伝承話がある。佐目子谷の苔をとって飲むと腹痛に効くという伝承もある。以前は佐目子谷にイモナ(岩魚)の養魚場があったらしく、昭和4年11月20日より京阪地方に出荷が行われたとの話が残っている。
 
 現在、永源寺ダム湖畔道路に佐目バイパス工事(橋三本とトンネル四カ所を設置)が実施されているが、道路延長全5.6kmの内、約2.9kmの範囲が鈴鹿国定公園の特別地域に含まれる事で、平成9年の夏頃から10ヶ月間、環境影響評価が行われた。結果、第4トンネル予定地である越渓橋の付近で絶滅危惧種に指定される保護義務種のクマタカが見つかり、工事による間接的な影響が生態系にあるとして繁殖期(12月から翌年4月迄)の工事を完全に休止とし、トンネル内での発破火薬量を30%削減、低騒音型重機の使用などが講じられた事もあった。クマタカ、イヌワシ、オオムラサキ等、貴重な動植物が多数生息する事もあり、鈴鹿山系が豊かな環境を抱えている指標となっている。
 
 佐目の茶摘み詩  「宇治は茶所 茶は政所 味のよいのは 九居瀬の茶」
佐目   佐目
山ノ神 「佐目子谷」   若宮八幡神社
 比定地:2015.10.21(国道421号線拡幅工事中)
参考資料:遺跡ウォーカー(佐目館 ) 『滋賀県中世城郭分布調査1・4』、ウィキペディア、『小辰文書』
  本日の訪問ありがとうございす!!


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