城郭探訪

yamaziro

連続講座 近江の城郭城・寺・町~中世近江の自治の世界 第5回【湖賊の自治都市~堅田】2013.3.23

2013年03月22日 | 探訪「近江水の宝」

連続講座「近江の城郭 城・寺・町~中世近江の自治の世界」第5回「湖賊の自治都市~堅田」のご案内

 堅田は、琵琶湖のもっとも狭い場所に位置しています。琵琶湖を行き来する船はここを通らなければならず、堅田は湖上交通を掌握する重要拠点でした。そうした地理的な特性から、堅田の住人は様々な湖上特権を有しており、「諸浦の親郷」と呼ばれるような突出した地位と、その特権に裏付けられた自治を実現していました。

堅田の町は、内湖と琵琶湖によって全体を大きく囲われるとともに、その内部が堀割と街路で細かく区画されていました。また、琵琶湖に面して船入も数ヶ所確認できます。こうした堀割は自治を守るための防御機能と湖上水運の機能とを合わせ持ったものといえるでしょう。

 現在も、堅田の地には堀割や船入の痕跡が随所に残っており、湖岸の自治都市堅田のかつての景観をうかがうことができます。今回の講座では、大津市歴史博物館学芸員の案内で堅田の町を訪ね、現地に残る遺構をたどります。

1.日時 平成25年3月23日(土) 13:00~16:30 ※12:30受付開始

 講義「諸浦の親郷・堅田」 講師:仲川靖(滋賀県文化財保護課)
      本堅田現地見学 解説:大津市歴史博物館学芸員

JR堅田駅で、受付終了後出発式

本堅田現地見学コース

講義「諸浦の親郷・堅田」 講師:仲川 靖氏(滋賀県文化財保護課)堅田市民センターで

連続講座「近江の城郭 城・寺・町~中世近江の自治の世界」全第5回参加者の表彰式(代表に・・約15名=管理人もその1である。

本堅田現地見学へ 解説:大津市歴史博物館学芸員、滋賀県文化財保護課

ヴォーリズ建築(堅田教会)

レトロな給油機カ

神田神社概要: 神田神社の創建は不詳ですが持統天皇4年(690)、島務大肆忍勝(この地を開発した彦国葺命の12世裔孫)が素盞嗚尊の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社で広く信仰されるようになりました。当初は浄地普門山にありましたが文亀年間(1501~03)、祭神に関する対立が起こり分離し現在地に遷座、新たに彦国葺命と鳥務大肆忍勝を加え祭神としています。現在の本殿は建徳元年(1370)に建てられたもので三間社流造、桧皮葺、1間向拝付、室間時代初期(南北朝時代)に建てられた神社本殿建築の遺構として大変貴重な存在で大正2年に国指定重要文化財に指定されています。

中でも堅田は、織田信長や豊臣秀吉が重用した堅田水軍の根拠地であって、中世から江戸時代にかけては、水路権を握った堅田衆と呼ばれた人々によって、琵琶湖最大の自治都市を築いていた。この程度の知識は持ち合わせていたが、堅田に「湖族の郷(こぞくのさと)」が、

西イ港この程度の知識は持ち合わせていたが、堅田に「湖族の郷(こぞくのさと)」

湖族の郷資料館 で解散

古代から中世、近代に至る堅田の変遷、芭蕉や門人たち、志賀廼家淡海(※)といったゆかりの人物、 堅田を題材にした文学作品を紹介しています。民具の展示や、郷土品販売コーナーもあります。

浮御堂
~近江八景の一つ「堅田の落雁」に数えられ、広重の浮世絵にも登場~


琵琶湖に浮かぶ浮御堂は、正式には海門山満月寺と称し、京都紫野大徳寺派に属する禅寺です。
長徳年間(995年頃)、比叡山横川恵心院の僧であった源信(「往生要集」の著者)が、湖上の安全と衆生済度を願い、 自ら千体の阿弥陀仏を刻んで開いたのが始まり。
これまで風雨や戦で何度も荒れ果ててきましたが、その都度再建され、現在の浮御堂は昭和12年再建のもの。
「聖観音座像」は平安時代の作で、重要文化財。
このほか、薬師如来像・十一面観音像が安置されている「観音堂」、昭和9年までの浮御堂の古材を用いて建立された「茶室玉鈎亭(ぎょくこうてい)」が、登録文化財。
四季折々に美しく湖面にその姿を写す浮御堂は、古くから多くの人々に愛されてきました。
「鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮御堂」、「比良三上雪さしわたせ鷺の橋」は芭蕉の句。境内に芭蕉の句碑が。

堅田の老舗和菓子【金時堂】http://www.gaido.jp/suteki/suteki.php?ID=390

金時堂は1923(大正12)年、かつて湖上交通の拠点として栄え、今でも風情のある町並みが残っている堅田の町の一角に誕生した。
当時、堅田だけで12軒の和菓子屋があり、そのうちの2軒で落雁を作っていた。競争が激しく、自転車で近江舞子あたりまで売りに行っていたという。
以来約90年。地元で取れた米や小豆を使うなど地産地消を心掛け、昔ながらの製法を守って「伝統の味」を伝えてきた。
山本さんは高校を卒業後、5年間京都で修業を積んだ。京都の和菓子は自分の知る和菓子と違い、とても上品で驚いたという。めきめきと腕を上げ、修業中から京菓子協同組合研究会の優秀賞や優良賞を受賞した。その後も全国菓子大博覧会で有効金賞や総裁工芸文化賞を受賞、その技術は高く評価されている。現在は父・時男さん(87歳)、息子の伸吾さん(32歳)と共に3世代で営んでいる。


〈名勝〉居初氏庭園 江戸時代

居初家は堅田の豪族三家の1つで、その茶室は天然図画亭(てんねんずえてい)と呼ばれます。庭園は、江戸時代の著名な茶人である藤村庸軒(ふじむらようけん)と地元の郷士である北村幽安(きたむらゆうあん)(1648-1719)の合作です。国指定の名勝。 この庭園の素晴らしいところは、茶室から見る借景の見事さです。庭園東側の石垣が琵琶湖に接しているので、サザンカ・モッコク・マキ・サツキなどの刈り込みの向こうに、雄大な湖に始まり、近江富士の三上(みかみ)山などの湖東(ことう)の連山が一望のもとに見渡せます。まさに、天然の図画という名がふさわしいです。
 庭園は、茶室の東側と北側に広がります。茶室の方は入母屋造の趣ある建物で、茶の道具が客に見えないように、主室との間に低い結界が付けられ、主人の謙虚さがうかがえる構造になっています。

天然図画亭(てんねんずえてい)庭園東側の石垣が琵琶湖に接している

堅田港の句碑

堅田内湖・・・

JR堅田駅へ

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました


最新の画像もっと見る