犬上川の上流には、奇岩が折り重なる中を水がしぶきとともに流れ落ちる「大蛇が淵」があります。
ここに鎮座する大瀧神社は、江戸時代には瀧宮(たきのみや)と呼ばれ、犬上郡内の水田を潤す犬上川の水源をつかさどり、五穀豊穣をもたらす神として大いに信仰を集めていました。
多賀大社の奥宮として現存する大瀧神社本殿(県指定有形文化財)は、寛永15年(1627)に徳川家光の下知によって造営されたものです。
多賀大社、胡宮神社本殿もほぼ同時期に造営されたことが判明しています。
多賀町大瀧神社・胡宮神社・多賀大社の三社を歩いてめぐる今回の探訪では、多賀観光ボランティアガイドと県文化財専門職員が同行案内し、多賀三社および周辺の文化財を詳しく訪ねます。
近江鉄道 多賀大社駅
敏満寺城
胡宮神社
大門池
勝楽寺城(遠景)
犬上川
楢崎古墳
勝楽寺城(遠景)
高源寺
佐和山城より移築門(馬が駆け抜けるられるように、敷居がない)
勝楽寺城(遠景)
大滝神社へ
大蛇ヶ原
皇帝ダリア
国道307添いのSL公園
多賀大社門前:絵馬通り
多賀大社
村山たか
村山 たか(むらやま たか、文化6年(1809年) - 明治9年(1876年)9月30日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代初期に活躍した女性で、舟橋聖一著の『花の生涯』のヒロインとして知られる。別名村山加寿江(かずえ、可寿江とも)。
生涯
1809年(文化6年)、近江国犬上郡多賀町で、多賀大社にあった寺坊尊勝院の娘として生まれる。生後すぐに寺侍村山氏に預けられ、18歳の時に当時の藩主である井伊直亮の侍女となる。
20歳になり京都に上って、祇園で芸妓となり、その際男子をもうけるが、私生児であった為に自らが引き取り、生まれ故郷の彦根に戻る。その際彦根城下で蟄居生活を過ごしていた井伊直弼と出会って情交を結び、またその数年後に直弼を通じて出会った長野主膳とも深い関係になったとされる。やがて直弼が大老となり、江戸に移った後二人は別れたとされるが、安政の大獄の際には京都にいる倒幕派の情報を江戸に送るスパイとなり大獄に大きく加担した。日本の政権に属した女性工作員としては、史上初めて名をとどめる存在である。
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!