城郭探訪

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勝長氏館  近江国(日野)

2016年04月29日 | 居館

 

お城のデータ

所在地:蒲生郡日野町松尾   map:http://yahoo.jp/ZmBIia

現 状:集落・神社

区 分:居館

築城期:江戸期か?

築城者:勝長氏

遺構:標高:196m  比高差:10m

目標地:勝長神社

駐車場:勝長神社近くに路上駐車

訪城日:2016.4.8 

お城の概要

松尾の丘の上にある。付近は住宅が多い。広くはない。このあたりは蒲生野である。この神社の周辺は近江の金属採取と精錬の地域であったようだ。

勝長氏館は、松尾地区の『勝長が岡』が居館跡と云われ、現在の勝長神社境内周辺にあった。神社と周辺の宅地は、丘陵頂上部にあり、神社境内から日野の市街地を南に見下ろすことができ、ここに豪族の居館が築くのに適した地形と思われた。

お城の歴史

勝長氏館は、築城年代は定かでないが勝長氏によって築かれた。

 日野の綿向神社の現本殿は、宝永4年(1707年)に、蒲生家の家臣・勝長半兵衛なる者が宮奉行となり氏子中の寄進により再建された。また、宝永5年(1708年)徳川綱重の代官・竹田喜左衛門政為は社殿を修造する。徳川綱重は第3代将軍・徳川家光の三男で、6代将軍・家宣の父にあたる。綱重は甲斐甲府藩主であったが、所領は甲斐、武蔵、信濃、駿河、近江に散在したことから、近江に代官がいてもおかしくはないが、1678年(延宝6年)兄の第4代将軍・家綱に先立って35歳の若さで死去したので、宝永5年(1708年)に綱重の代官は存在しない。
 また、蒲生家も寛永11年(1634年)に断絶しているので、宝永4年(1707年)の蒲生家の家臣・勝長半兵衛なる者の正体不明。

              

  

    

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、綿向神社の由緒

  本日の訪問ありがとうございす!!


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