城郭探訪

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千草街道を往く 日時:平成24年4月28日(土)

2012年04月30日 | ウォーキング

●わがまち探訪フィールドワーク  千草街道を往く
   日時:平成24年4月28日(土)
   募集定員:70人(山歩きの経験があり体力に自信のある人)
   コース概要:甲津畑町~杉峠~根ノ平峠~三重県菰野町千草
        (全長約15km、高低差約650m )

信長は浅井討伐の準備をするため、美濃・岐阜城へ帰国するルートとして選んだのが、千種越え(現在の永源寺町甲津畑から杉峠を越えて、三重県菰野町にでるルート)であったが、

  元亀元年(1570)越前の朝倉攻めを敢行した織田信長は、4月25日敦賀の手筒山城を落とし、翌26日には金ケ崎城、,疋田城をも落とし、まさに木ノ芽峠を越えて越前に攻め入らんとした時、近江江北・小谷城を本城とする娘婿の浅井長政の離反にあい、若狭から朽木街道を経て京に逃げ戻る。この時信長に従う者は僅か10名ほどだったと云われている。


 信長は浅井討伐の準備をするため、美濃・岐阜城へ帰国するルートとして選んだのが、千種越え(現在の永源寺町甲津畑から杉峠を越えて、三重県菰野町にでるルート)であったが、馬つなぎ松その時に信長が甲津畑で馬を繋いだと云たれる松が甲津畑の速水氏宅にある。

『杉谷善住坊のかくれ岩』の標示があったので谷に下りてみると説明板があった。

遠藤周作氏の『男の一生』では、千草越えで織田信長を狙撃した甲賀の杉谷善住坊を、金ケ崎の戦いの際に遠藤喜右衛門が雇った傭兵であったとする。

 

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