城郭探訪

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探訪「景清道を訪ねて」 安土篇2012.11.17

2012年11月17日 | 探訪「大地の遺産」

信長の負けずの鍔を、ディザイン!

安土から五個荘にかけては、平安時代末期から戦国時代にかけて、多くの戦国武将たちの足跡が残っています。

平安末期、平家再興を祈願するため、京を目指した平家の家人で、悪七兵衛の異名を持つ伊藤(平)景清が通ったとされる景清道をはじめ、中世近江を守護として統治した佐々木六角氏の居城観音寺城とその城下町石寺、また、五個荘は、近世から近代にかけて、日本にとどまらず、世界を舞台に活躍した近江商人たちのふるさとでもあります。

この道は、景清が近江八幡に宿して、繖山の桑実寺に目の病の治癒の祈願に通った道です。

この橋は、現在の景清橋(東に100mほど)河川改修で移動

「はらみ」と言って、木の根が石垣や石積みを崩していきます。「上に切り株」・・・放って置くと【孕み】で石垣崩れます。・・・浄厳院楼門前です。

近世の扉を開いた織田信長が、法華宗の勢力をそぐために行った安土宗論の舞台浄厳院などがあります。

浄源院浄源院の信長公像 

 

安土問答と西光寺・聖誉住持
~信長のもとで裁かれた浄土宗VS法華宗の宗論~

http://www.geocities.jp/une_genzaburo/Saikouji.htm

景清道です景清道、正面の山が繖山(観音寺城址・中腹に桑実寺)近江の宮の天智天皇(中の大兄の皇子)が、娘の病気を治すため建てらた。景清も、自分の病の治癒を願ったのでしょう!

竹林の中の景清道

ここで、景清道と参道自動車の交差・・・石碑が目印!石寺から、箕作山・・山頂に小脇城Ⅴ字は、腰越峠

中世近江を守護として統治した佐々木六角氏の居城観音寺城とその城下町石寺、

 

 

また、五個荘は、近世から近代にかけて、日本にとどまらず、世界を舞台に活躍した近江商人たちのふるさとでもあります。

本日の歩数 15,912歩   2時間23分    11.1km

消費カロリー 639.3kcal    脂肪消費量 91.3g

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。

 

 


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