城郭探訪

yamaziro

招福の祈り華麗に 1日から 彦根城博 井伊家の名品並ぶ

2012年12月23日 | 文化財

福を招くとされる竜と鳳凰をあしらった能装束「紺地丸龍と風景文側次」(彦根城博物館蔵)

 招福の願いが込められた彦根藩主・井伊家伝来の品々を紹介する正月恒例の企画展「新年の寿(ことほ)ぎ-吉祥のデザイン」が、1月1日から滋賀県彦根市金亀町の彦根城博物館で始まる。縁起物とされる鶴亀や鳳凰(ほうおう)の意匠を取り入れた美術工芸品など33点を展示する

 中国・清朝の官服を仕立て直した能装束の側次(そばつぎ)は、略式のよろい姿を表し、福を招くとされる竜の丸い文様が紺地の肩と背中に、裾には舞う鳳凰の姿が配されている。日本刀の外装である大小二つの拵(こしらえ)は、長寿の象徴のツルの足皮で鞘を包み、金具類にもツルの柄をあしらった。刀身も「延寿」の名を持つ刀工の作を採用して吉祥尽くしで仕立てている。また、永遠の命をもたらす果実として珍重され、井伊家が家紋としたタチバナと、輝く金地を組み合わせた能小道具「金地橘図扇」も展示する。

 29日まで(会期中無休)。有料。12日午後2時から学芸員のギャラリートークもある。問い合わせは同館TEL0749(22)6100。

http://www.47news.jp/localnews/odekake/2012/12/post-20121223115033.html


聚楽第の石垣、東西に32メートル 自然石で勾配

2012年12月23日 | 探訪「大地の遺産」

聚楽第跡本丸南端で東西32メートルにわたって見つかった石垣(21日午後2時半、京都市上京区上長者町通裏門東入ル)

 京都府埋蔵文化財調査研究センターは21日、京都市上京区の聚楽第跡で、本丸南端の石垣を東西計32メートルにわたって確認した、と発表した。徹底的に破壊されたと伝わる豊臣秀吉の聚楽第の遺構が大規模に残っていたことになる。自然石のみで積み上げた石垣の整った形からは当時の高度な技術もうかがえる。

 調査地は聚楽第本丸の南端。10月に石垣の一部(約7メートル)が見つかり、さらに東側に掘り進めていた。石は約70個あり、全て切り割りしていない自然石。墓石などの転用石はない。比叡山周辺か大津市・田上山が産地と考えられる。石垣表面は約55度の緩い傾斜できれいにそろっていた。

 石の一辺は約0・7~1・5メートルで、大手門があったとされる本丸南端の中心部へ向かって、順に大きな石が使われていた。「大手門を通るときの見栄えを意識して積んだのではないか」(同センター)という。残っていたのは3、4段分で本来の高さはわからないが、最も高い場所は約2・3メートルだった。

 石垣と背面の土の間には、水はけのために「栗石」という細かい石が敷き詰められていた。石垣に詳しい金沢城調査研究所の北垣聡一郎所長は「秀吉が築いた大坂城の石垣には転用石が使われていたが、聚楽第は自然石のみで勾配をそろえ、美しい。秀吉の権威を示したのだろう。同時代の石垣研究の基準になる」としている。

 24日午前10時~午後3時に現地説明会を行う。現地事務所携帯電話090(9613)4694。

■聚楽第(聚楽城) 安土桃山時代、関白となった豊臣秀吉が政庁兼邸宅として、大内裏跡で1586年に着工し、翌年完成。秀吉の威を示す豪華絢爛(けんらん)な造りだったとされ、後陽成天皇が行幸した。おいの秀次に譲ったが、秀次の追放と切腹後、徹底的に破壊したとされる。

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20121221000175