城郭探訪

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連続講座「近江の城郭」第1回 湖東の城塞寺院・百済寺 20120825

2012年08月27日 | 戦国山城

連続講座「近江の城郭」第1回 湖東の城塞寺院・百済寺 20120825

 連続講座「近江の城郭 城・寺・町~中世近江の自治の世界」の第一回講座「湖東の城塞寺院~百済寺」に参加。

 東近江市百済町にある百済寺は、聖徳太子が百済人のために創建した天台宗寺院で、百済の「龍雲寺」を模して造られ、高句麗僧恵慈や百済僧道欣とも関わりが深い近江の最古級の寺院として知られる。

北緯35.1度の不思議なご縁 百済国(光州)・次郎坊(鞍馬)・比叡山:太郎坊(東近江)・百済寺・熱田神社

 

 近江守護佐々木六角氏の支援を得て発展し、比叡山延暦寺に匹敵する規模で宗教勢力を誇ったが元亀四年(一五七三)四月十一日、天下統一をめざす織田信長と対立し、全山が焼き討ちに遭い廃墟になった。

その後、江戸時代初期に徳川幕府や井伊家の支援を得て復興した。

 焼き討ちに遭うまでの百済寺は、天台別院と呼ばれる中枢部に三百カ所の防、鈴鹿の谷筋に沿っていくつも延びた参道両側には、およそ七百カ所に坊が点在したとされ、千三百人余りの僧が居住した大寺院だったといわれている。その規模の大きさから別名「東の延暦寺」とも呼ばれている。 

 中でも参道や坊に築かれた石垣は、城塞のような機能を併せ持ったような造りが伺え、城郭的要素を持った寺院としても知られている。

 今回の講座では、威容を誇った中世の百済寺の歴史をたどり、城郭的な性格を示す寺院境内の現地見学と寺宝の「石曳絵馬」の特別拝観が行われる。

 百済寺は湖東三山のひとつに数えられる天台宗の名刹です。聖徳太子開基と伝えられ、高句麗僧恵慈や百済僧道欣とも関わりが深いといわれています。その後、近江守護佐々木六角氏の支援を得て発展し、宗教勢力として隆盛を誇りますが、やがて天下統一をめざす織田信長と対立し、六角氏を援助したとして焼き払われてしまいました。全山灰燼に帰してしまった百済寺ですが、近世に入り、徳川幕府や井伊家の支援を得て復興しました。

信長に焼かれる以前の百済寺は谷筋に添って参道が延び、その両側に多数の坊が広がる威容を誇っていました。参道や坊には石垣が築かれ、あたかも城塞のような景観が見られるなど、百済寺は城郭的要素をもった寺院として知られています。

今回の講座では、威容を誇った中世百済寺の痕跡をたどり、寺院に見られる城郭的要素について現地で御覧いただきます。また、あわせて寺に伝わる寺宝の石曳絵馬を特別に拝観させていただきます。

  

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本日の歩数 10,026歩   1時間47分 7.07km

 消費カロリー 125.5kcal    脂肪消費量 17.9g