城郭探訪

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佐々木氏の出目

2012年08月14日 | 武将

系図

  (54)仁明天皇   (55)文徳天皇   (56)清和天皇   (57)陽成天皇   元良親王
               
                      惟喬親王     貞純親王   (源)経基清和源氏へ〕
     
            (58)光孝天皇   (59)宇多天皇   (60)醍醐天皇    
           
            人康親王   操子女王
(藤原基経妻)
    真寂法親王
(斉世親王)
     
                            敦実親王   (源)雅信宇多源氏へ〕

 

宇多源氏

59代宇多天皇の子孫。
第八皇子である敦実親王の子、源雅信・源重信 兄弟はいずれも左大臣となった。源重信の子孫は十二世紀初めまで公卿を輩出した。源雅信の子孫からも多くの公卿を輩出し、鎌倉時代以降、庭田家、綾小路家等に分かれ、明治維新に至るまで堂上家としての地位を保ち、栄えた。
堂上公家:庭田家、綾小路家、五辻家、大原家、慈光寺家
氏族:佐々木氏、出雲源氏諸氏

佐々木氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
佐々木氏
家紋
四つ目結
本姓 宇多源氏
家祖 源経方
種別 武家
出身地 近江国蒲生郡佐々木庄
主な根拠地 近江国出雲国
隠岐国越後国ほか
著名な人物 佐々木秀義
佐々木定綱
佐々木盛綱
佐々木高綱
佐々木義清
吉田厳秀
支流、分家 六角氏武家
京極氏武家
大原氏武家
高島氏武家
加地氏武家)ほか
凡例 / Category:日本の氏族

佐々木氏(ささきし)は、平安時代に起こり近江国蒲生郡(現滋賀県近江八幡市安土町)佐々木荘を本貫地とした武家。

概略

佐々木氏は、近江国を発祥の地とする宇多源氏の一流である。

宇多天皇の玄孫である源成頼が近江国佐々木庄に下向し、その地に土着した孫の経方が佐々木を名乗った事から始まるとされるが、これには異説もあり現在も議論されている。

宇多源氏の中でも佐々木氏は特に近江源氏あるいは佐々木源氏と呼ばれて繁栄し、各地に支族を広げた。

祖の佐々木秀義は保元元年(1156年)に崇徳上皇と後白河天皇が争った保元の乱において、天皇方の源義朝軍に属して戦った。平治元年(1159年)の平治の乱でも義朝軍に属して戦うが、義朝方の敗北により伯母の夫である藤原秀衡を頼って奥州へと落ち延びる途中、相模国の渋谷重国に引き止められ、その庇護を受ける。秀義の4人の子定綱、経高、盛綱、高綱は、乱後に伊豆国へ流罪となった義朝の嫡子源頼朝の家人として仕えた

 

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