北側土塁、北東向き 京都・山科本願寺南殿跡
京都新聞 2016.5.29
- 南殿跡で見つかった土塁の基底と堀の跡。土塁の裾には補強のために石が敷き詰められていた(京都市山科区音羽)
本願寺中興の祖・8代蓮如が晩年を過ごした京都市山科区音羽伊勢宿町の「山科本願寺南殿跡」の発掘調査で、南殿の中心部を囲んだ土塁の北西角の基底と堀の跡が28日までに見つかった。
■京都市発掘 復元図、大幅書き換えか
北西のコーナーが確認されたことにより、北側の土塁が北東向きに斜めに築かれていたことが分かり、南殿の復元図が大幅に書き換わる可能性が出てきた。
南殿は1489年に造営された蓮如の隠居所。ほかの宗派との対立もあり、中心部を二重の土塁と堀で囲っていた。市の発表によると、見つかったのは内側の土塁で基底の幅は約5メートル。内郭の規模が東西100メートル、南北125メートルと分かった。土塁の裾には、補強のために石が敷き詰めてあり、山科本願寺ではみられない工法で作られていた。堀の幅は約8メートル。最初の堀を埋め立ててから造り直した跡がみられた。
これまで北側の土塁は、今回の調査地点から東方向に延びていたとみられていたが、調査により、北東方向に角度を付けて造られたことが判明し、市文化財保護課は「内郭の土塁は周囲の道路と同じ角度で造られていた。今は手がかりのない外郭部分でも、同様の傾きとなっている現在の道路が、土塁と堀があった範囲である可能性が高い」とみている。