旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

邯鄲の夢 - 第五夜

2014年12月05日 17時14分56秒 | 夢十夜
5. 赤とんぼ

 夏の間、高原のお花畑で過ごした赤トンボは、秋になると真っ赤な婚姻色に身を染め、里に下りて町の中の空き地や原っぱの上を、群れをなして泳ぐように飛びます。
 赤トンボの群れは小さくまとまったりパっと広がったり、上に行ったり下に来たり、急に止まるような動きを見せたりと、自在に秋空を遊泳します。海の中の小魚の群れよりも軽やかな動きです。今でも数匹の赤トンボが草地を飛ぶ姿を見ることはありますが、私が子供の頃、昭和三十年代の日本の秋空を飛ぶ赤トンボの群れは、それはそれは見事なものでした。
 今では少子化で無くなってしまった、横浜市立戸部小学校は、創立が明治維新の前、前身が寺子屋だったという由緒を持ち、校歌の中に、「ネオンの巷、仰ぎ見て」とかいう文句が入っていました。団塊の世代よりは後になりますが、まだ戦後の焼け跡から復興し始めた日本、という雰囲気が充分残っていて、1クラス45人位で1学年に5クラスほどありました。横浜なので父親が中国人の余さんや王君、小学生なのに新聞配達をする朝鮮の子がクラスの仲間にいました。
 あれはある晴れた秋の日、昼前の体育の時間でした。小学4年生位だったと思う。体育の授業は、校庭を2~3周ランニングするところから始まります。悲しいまでに澄んだ青い空に赤トンボが舞っていました。その日の赤トンボの群生は特別に数が多く、子供たちのランニングの列に突っ込むように近づいては離れ、遠ざかっては上空を舞ってまた近づき、群れが固まれば赤がギュっときつくなり、広がれば薄まる。私はランニングの列の中にいた訳なのに、思い出の光景は何故か、離れた所から子供たちの走る姿と、つかず離れず空中を自在に舞う赤トンボの群れを同時に捉えています。あれほど見事な群れはその後見ることはありませんでした。町の空き地や原っぱは次々に無くなり家やビルが建ち、残った緑地は管理された公園になった。
 追憶の次の場面は、ランニングを終え校庭に2列になって座り、これから行なう球技の説明を先生から受けているシーンです。その時先生の背後、港のドックの方向で突然灰色の煙がちっちゃく立ちのぼりました。続いてドーンという音が、一瞬の衝撃を与えて体を突き抜けた。みんなはびっくりした。花火の音に似ていたけれども、もっと禍々しい、心臓を不安でドキドキさせる煙と音だった。何だったんだろう。大きな音は一回だけ、煙は地平からワッと上がって風に流されて消え、それきり何も起きなかった。
 その日の夜になって、ドックで爆発事故があり、作業員が2人死んだことを知った。
その死者の中にクラスの女の子のお父さんがいたことが分かった。体が小さくて目立たないおとなしい少女でした。あの時彼女は、校庭に座ってお父さんが死んだ事故の一瞬を、クラスのみんなといっしょに見てしまった。抜けるような青空と、夕焼け雲のような赤トンボの群れ。あの日を境に、赤トンボの群生を見ることは無くなった。


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