旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

邯鄲の夢 - 第六夜

2014年12月05日 17時21分08秒 | 夢十夜
6. 南波照間島

 日本の西の果て、先島と呼ばれる八重山諸島は東から石垣島、西表島、与那国島と並び、西表島の南に小さな波照間島があります。西に向かえば台湾ですが、南は広大な太平洋が広がり島などありません。しかしながら波照間島には、その大海のかなたに南波照間島という南海の楽園があるという言い伝えがあります。南波照間島は無人で、太古の森には鳥と獣たちが群生し、清冽な真水の出る泉があり、島はうっそうとした木々でおおわれ果実がたわわに実り、海岸では貝や魚がいくらでもとれるといわれています。
 江戸時代の琉球(沖縄)は薩摩藩の圧政に苦しみ、その厳しい人頭税の取立ては、島民から生きる活力を奪っていました。妊婦が断崖絶壁の裂け目を飛び越え、それでも流産せずに生まれてきた子だけを育てたり、武器を奪われたため、素手や木製の農耕具で戦う空手を森の中で練習したりした時代でした。
 或る時、波照間島の村人は相談して島を捨て、大海のかなたにあるという南波照間島を目指すことに決めました。役人が島を離れた隙に舟を仕立てて家財道具を積み込み、南波照間島を目指しました。その船出の際、若い母親が浜に鍋を置き忘れたことに気がつき慌てて取りに戻りました。家族は引き止めますが鍋一つといえども当時は大変貴重なものです。母親は鍋を拾って急いで舟に戻ろうとしますが、引き潮に流され舟はあれよあれよと言う間に沖に流されてしまいました。
 夫、子供たち、両親や知人、友人の全てを乗せて舟は沖へ沖へと流されついに大海原の彼方へと消えていきました。その後その舟の消息は途絶え、母親がどのような気持ちでその生涯を終えたのかは、言い伝えには残っていません。地図にはない南波照間島で幸せに暮らしているであろう家族を想う、一人残された女性の嘆きを考えるといたたまれない気持ちになりませんか。南の国の明るい島に残る悲しい物語です。

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