goo blog サービス終了のお知らせ 

KISHOの東京・沖縄・奄美日記

沖縄にいながら奄美と東京を巡るヒゲ親父の日記

ゴーヤー1号

2015-06-20 18:26:47 | Weblog
遅蒔きながら、家庭菜園のゴーヤーが実をつけた。4月から中長ゴーヤーの苗が育ったのでここまでが長かった。誇らしくてゴーヤー1号と命名した、2号3号と続いてくれよ。

身近な人助け

2015-06-19 17:37:34 | Weblog
社の同僚女性の髪が腰元まで伸びているのに気づき、「髪が伸びたね?」と尋ねたら、小児がんの女の子の治療に役立てたいと言う。副作用や症状で髪の毛が抜けるのでカツラではなく本物の髪の毛が必要だと支援団体の方に教えられたようだ。以来、30センチ近くまで伸びたらカットして届ける予定だという。感心した、身近で出来る人助け。

カンムリワシの国際殿堂入り

2015-06-16 15:20:14 | Weblog
元世界ライトフライ級王者、具志堅用高氏が国際ボクシング殿堂入りを果たした。ニューヨーク州での授賞式に出席した具志堅ファミリーに送られた拍手歓声が沖縄にも届くようだ。思えば東京暮らしの学生時代、知人のアパートで偶然会ったボクサーが具志堅のプロデビュー戦の相手の牧公一氏であったが、判定で負けた試合を振り返り「自分は判定で具志堅に勝っている」なんて仰っていたっけ。デビュー戦から数か月後の再戦でも具志堅の判定勝ちであった。いやはや、ファン・グスマンにKO勝ちした1976年、WBA世界ライトフライ級の王座に就き、世界戦13連続防衛の偉大な記録を打ち建てた用高は、本土に住みながらいわれなき差別にさらされ続けたウチナーンチュに誇りと自尊心を取り戻してくれたものだ。当時の芸能界は歌手の南沙織が「17歳」で華々しくデビュー、南沙織と具志堅用高はウチナーンチュに自信を与えたといっても言い過ぎではなかった。「わんや、カンムリワシにないん」故郷石垣が生息する北限の鳥類になぞらえて世界に挑んだ用高のボクシング人生がここに結実したのだな。「ボクシングをしていなければ海を歩いていたね」、質問「具志堅さんの座右の銘を教えて下さい?」用高「左右の目は2.0です」はて?質問「具志堅さんの家紋は何ですか?」具志堅「家紋はブロックです」(注:家紋を玄関の門と解釈したのだな)。引退後も奔放自由な発想が人気のキャラクターで賑わせておりますね、ところで同姓同名の具志堅用高さんを存じていますが、今はどうしていますかね?

奄美点描

2015-06-15 21:06:09 | Weblog

今回の奄美出張、滞在期間が短いなりに島をレンタカーで走り回った。奄美を終焉の地とした日本画家・田中一村の住居跡は何度めになるだろうか。奄美パークでは駐車場で寝てしまった、結局入らずじまい、これは反省。三義山の市民球場はスコアボードの改修工事中、完成が待たれる。スコア以外に選手名などが電光表示されるのだな。市民球場といえば秋季キャンプが定着した横浜がセパ交流戦で苦戦しているね、屋仁川会議でも話題になった。皆、横浜に注目しているのだ。ホノホシ海岸、自然の造形や摂理に感嘆するばかりだ。

組合せ決まる

2015-06-13 17:45:53 | Weblog
本日、オリオンスーパーベースボール奄美大会の組合せ決まる。時間までに来ないチームの代表に連絡入れたら失念しており、どうしたもんかと共に悩んでいたら○○の○△が来ていないかと尋ねる。ロビーにいる数名に声かけすると、○△氏がいるではないか。なんという偶然、代理でクジを引いてもらい、参加賞のサザンスターを手渡して一件落着。さてもさても、奄美は狭い。組合せは地元紙2紙に明日掲載される。